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カテゴリー「神社仏閣」の記事一覧

石仏の尾根道 坂戸山薬師尾根  

『坂戸山』山麓を抱くように、湾曲して山頂へ至る尾根が薬師尾根です。(写真は全て、1月7日の撮影)
坂戸山
 石仏は、サムネイルで掲載。拡大して見て下さい。 
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 堀直竒時代は、本丸として用いられていたという説がある御居間(おんま)屋敷跡への案内標柱。
案内標柱
 まだまだ続く石仏群。飽きた。なんて言ったら罰が当ります。
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 一本杉は、「坂戸山山頂の実城」で紹介しました。観音様の後ろの案内図を拡大してみます。
石仏・案内図・標柱
 この図を見れば現在位置が判ります。最初の写真の中央辺りの尾根の高みです。
案内図
 どこまで続く泥濘ぞ♬  いや石仏のことです。
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 石仏は、ここまでで27体も在りました。もう少し登ると見晴らしが良さそうなので登ってみます。
この先にも石仏が続いていたら、どうしようと思いながら先へ進みました。  続きます。

category: 神社仏閣

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坂戸山 雪の薬師尾根  

 今回は『坂戸山薬師尾根へ』の続きです。1月7日のことですから、もうすぐ1ヶ月が経ちます。
この頃は、平年とは比べものにならないほど雪が浅くて、低山歩きなら苦になる積雪ではありません
でした。とは言え、雪山歩きに馴れていなければ難行苦行だったかもしれません。


『雪の薬師尾根』石仏が幾体も置かれている。ひとつ一つ写真を撮りながら登る。
薬師尾根を登る
 石仏は、サムネイルです。菩薩や仏が大勢居られます。
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『赤い鳥居の稲荷さま?』ひと汗かいたので、ここで休憩します。
赤い鳥居の稲荷様
『坂戸山山頂は、まだ遠い』今日は、山頂には行かない撮影散歩です。
昼の月と坂戸山
『寺ガ鼻尾根末端』薬師尾根から分岐した尾根で砦跡が幾つもあります。
寺が鼻尾根末端
『上田ノ荘(六日町)の風景』眼下の魚野川は、坂戸山城の外堀でした。
上田ノ荘

 さて、もう少し上まで登ってみますが15時30分になる所です。この続きは次回にします。

category: 神社仏閣

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坂戸山薬師尾根へ  

 坂戸山山頂の実城(本丸)の続きです。 

『坂戸山の詩』設置者は南魚沼地域山岳遭難防止協議会。
坂戸山の詩

 雪の積もった坂戸山の山麓を彼方此方とほっつき歩いて、下の図の現在位置の駐車場まで帰って来
ました。午後3時を回っているし帰ろうかなと思いましたが、正月七日は久しぶりの晴天だったので
薬師尾根へと向かいました。


『坂戸山案内図』
坂戸山案内図

『鳥坂神社』由緒は不明。社名から大伴氏の祖神高皇産霊神か伊勢の豊受比咩神を祀っている?
鳥坂神社

                  『狛犬(阿)』
                   阿

『狛犬(吽)』
吽

『坂戸薬師堂』この薬師堂から薬師尾根登山道が始まる。途中まで登ってみます。
坂戸薬師堂

『青面金剛(しょうめんこんごう)青面金剛明王とも呼ばれる夜叉神。庚申信仰の本尊。
青面金剛

『古峯大神』本社は栃木県鹿沼市の古峯神社(ふるみねじんじゃ)祭神は日本武尊。
古峯大神

『観音菩薩像』手に蓮の花を持つ如意輪観音像です。十九夜講の月信仰の対象でもあります。
観音菩薩

 この先の薬師尾根には、幾つもの石仏が雪の上に顔を出して並んでいました。数が多すぎて、仏か
菩薩かも判りません。次回は、登りながら一つ一つ撮った石仏を紹介する予定です。

category: 神社仏閣

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魚沼三十三霊場 第十六番札所 舟岳山 真浄寺  

 南魚沼市麓と言えば地蔵尊から登った六万騎山の古城祉を、そして腹が減って西郭の頂上から先へ
行かないで撤退したことを覚えているでしょうか。今回は、行けなかった山頂主郭へ登ろうと思いま
したが近くまで来て、また彼方此方と寄り道をしています。


【魚沼三十三霊場 第十六番札所】昨日のエントリ雪国の民家の柿の木が、写真の左に見えます。
標柱
 真浄寺参道の両側に、門のように石碑が建っていました。
真浄寺
 二十三夜塔と葷酒山門に入るを禁ずの禁葷酒の石碑でした。葷とは、ニンニク・ネギ・ニラ・ラッキョウ・
ノビルなど、においが強い野菜を言います。この五つの野菜は五葷と言って、精力がつき過ぎて修行の妨げになると考えられていました。
二十三夜塔              禁葷酒
 苔むした石段の上に見える曹洞宗真浄寺本堂は、雪国らしい落雪仕様の赤いトタン張りです。   
苔むした石段

 真浄寺の創建は、天文十二年(1543)。現在の堂宇は、天明八年(1788)の建立と云うこ
とでした。ここに来て知ったのですが、魚沼地方に伝わる「弥三郎婆伝説」の弥三郎婆の菩提寺でも
あるそうです。


 真浄寺 御朱印
御朱印  南無釈迦牟尼佛

category: 神社仏閣

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大杉が聳える十二神社  

【大杉が聳える神社】南魚沼市桐沢十二神社(撮影6月)
大杉 (2)

『桐沢十二神社再訪(12月20日)
神社

『不動尊の手水』
不動尊の手水

『参道の石段』
参道の石段

『狛犬と拝殿』
狛犬と拝殿

『狛犬(阿)』
阿

『狛犬(吽)』
吽

 南魚沼市桐沢は、水無川が魚野川に向かって扇状地を広げ始める右岸の集落です。大杉が聳えてい
る十二神社は、集落北側の山を背に鎮まっておりました。
 十二神社背後の山の峰続きには、戦国時代に桐沢城が築かれ、上田長尾氏の居城坂戸城の支城とし
ての役割を担っていたようです。谷奥には、雄大な郡界尾根を従えて、魚沼駒ヶ岳が毅然として聳え
ています。
 (魚沼駒ヶ岳は、昨日エントリしています)

category: 神社仏閣

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難行苦行への道~子安地蔵尊  

『12月12日朝の八海山』雪雲が去り、朝靄を透かして雪の八海山が見えて来ました。
今朝の八海山

 ところどころに青空が覗いているが、今日は曇りで最高気温6℃、最低気温1℃の予報が出ていま
す。魚沼市の雪も一段落したようですが、暫らくは晴天を望めそうにありません。

 さて、11月25日に時間を遡ります。今回は、南魚沼市麓の子安地蔵尊に参拝してから六万騎山
を目指します。
 ここ麓のお地蔵さまを、「花を摘んでは お地蔵さまに 水を汲んでは お地蔵さまに 忘れぬ我
が子を思うたび この身を削り手を合わす この 美しい美しい お地蔵さまに手を合わす
」と表現
された言葉を見ました。南魚沼市女子力観光プロモーションのページです。
 ↑クリックして見てください。

【麓の子安地蔵尊】
石段
『石段の途中から』
石段の途中から
『地蔵尊の山門』
地蔵尊の山門
『山門の額』
山門の額
『山門をくぐり振り返る』
山門をくぐり振り返る
『地蔵尊のお堂』
地蔵尊のお堂
『馬頭観世音』
馬頭観世音
『石仏が並ぶ』
石仏
『二十三夜塔』
二十三夜塔
『落ち葉で埋まった道』
落ち葉で埋った道

 写真をいっぱい張り付けて、このブログを見られる方の方が難行苦行かもしれません。麓のお地蔵
さまから、ようやく山道を歩き始めました。今日はここまでです。

category: 神社仏閣

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信越本線沿線~4、越後岩塚駅(報徳山稲荷大社近景)  

 宝徳山稲荷大社の境内で撮影してきました。時間が遅かったので、ほんの一部だけ観てきました。神社と言うより、巨大なモニュメントのような建築物が並んでいました。

『大門の外観』
大門外観

『大門内部』
大門

『大門から本殿と上之宮』
宝徳稲荷

『本宮跡』
本宮の跡

『本宮の本殿(左)と上之宮』
稲荷大社

『宝徳山稲荷大社全体図』
画像

 入り口付近をウロウロして来ただけですが、もう一回行きたいかと問われると、ウ~~ンと首を捻りそうです。この宝徳山稲荷大社が神さびるのは、千年の後になるのでしょうか。

category: 神社仏閣

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信越本線沿線~3、越後岩塚駅(宝徳山稲荷大社遠景)  

 前回、越後岩塚駅で列車の写真を撮っていて、長岡行きに乗り損ねたので散歩をしています。「わざとでしょう」と言う方も居られるかも知れませんが、その通りです。岩塚まで来たからには、宝徳山稲荷大社を観て帰らない分けには行きませんから。
 「前回はここから」 「前々回の宝徳山稲荷大社はここから」見てください。


『宝徳山稲荷大社全景』この写真を撮りながら、地元の方からお話を伺いました。
宝徳山稲荷大社遠景

『山上の奥宮』以前は奥宮の地に、古い時代から小さな祠が祀られていたと云う事です。
宝徳山稲荷大社奥宮

『宝徳山稲荷大社遠景』昭和49年に、帰郷した鷲頭社主が内宮殿を造ったそうです。
宝徳山稲荷大社2 (2)

『宝徳山稲荷大社・本宮の本殿(手前)と上之宮』その他にも色々と
宝徳山稲荷大社2 (1)

『宝徳山稲荷大社・内宮の本殿と祖霊殿(奥)お話を伺いました。
宝徳山稲荷大社3

 次回は、境内から神社の建物を、見てこようと思っています。と言うか、もう見ては来ました。あまりの巨大さに、圧倒されてしまった感があります。

『宝徳山稲荷大社全体図』
宝徳山稲荷大社全体図

 1978.11 いい日旅立ち/山口百恵』
 

category: 神社仏閣

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正体不明な建物と宝徳山稲荷大社  

『神社みたいな建物』工場のような設備を付帯して、さては、サテアン(笑)
稲荷大社
この建物の正体は、よく判りません。白鳥を写した日なんですが。

『宝徳山稲荷大社』こちらは、長岡市来迎寺(旧越路町)に在る大きな稲荷神社です。
宝徳稲荷大社全体図
 宝徳山稲荷大社の画像は、こちらから。

 宝徳山稲荷大社ホームページ

 信越本線越後岩塚駅から徒歩8分。興味のある方は、ご参拝を・・・

category: 神社仏閣

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『散歩の途中で』成田山明王院(11/20)  

 杉木立の中に見える紅葉に誘われて、魚野川右岸の崖の上に建つ成田山明王院の境内に立ち寄ってみました。
 魚沼市観光協会によると、「成田山明王院は、明治18年成田山新勝寺を本山として開基され、不動明王が祭られています。」とありました。魚沼三十三番霊場三十一番札所でもあるそうです。
 しかし、明治の廃仏毀釈後の開基と言うことに、少しばかり驚いています。それでも真言宗のこの寺は、130年近い間、魚野川を見下ろす崖上で真言世界の歴史を刻みつつ在るのですね。


『木立の中のお堂』
木立の中のお堂

『お堂と紅葉』
お堂と紅葉

『成田山明王院』
成田山明王院

『阿』
阿

『吽』
吽

 新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発した太政官布告に始まる、所謂廃仏毀釈は、明治の始めに各地で暴威を振るっていました。
 現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔が、25円で売りに出され薪にされようとしていた。などと言う有名な話も残っています。
 明治4年(1871年)頃には終息した廃仏毀釈の嵐を、新政府は廃仏毀釈などの行為に対して、「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと、「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」との注意を改めて喚起したと云うことです。



 

category: 神社仏閣

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村の鎮守 八幡様の社の雪  

昨日からので、国の様相を取り戻した魚沼の里景色です。天がその気になれば、一晩で1mのを降らせるのもそう珍しい出来事でも無いのです。もっとも今朝は、僅か40㎝ほどの積でしたが久しぶりだったので、除に手間取ってしまいました。

庭のも大分増えました。昨日の朝までは、無くなるかなと思ったんですが。
庭の雪

庭の桜に雪が降る。ズンズンと積ります。
庭の桜に積もる雪

南天にも雪が降ります。凍りついていた雪が溶けたらまた雪まみれ。
南天の雪

八幡様の社の杜です。雪で霞んで見えますが、昨日の午後の写真です。
八幡様の杜と社

八幡様の鳥居と社です。この構図は、Uータンさんからのリクエストです。
八幡様の社と鳥居

八幡様のお社です。参道に落雪避けが設置されています。
八幡様の社

大欅に雪が降る。今朝の雪です。
大きな欅に積もる雪

蒼い空。七草の日には、こんなに空が青かったんですが今度はいつ訪れるでしょうか?
晴れた日の雪景色

category: 神社仏閣

tag:   八幡様 

森の中に鎮まる神社  

 

 11月1日のブログで紹介した「大きな杉の木」が入り口に

 在った神社の鳥居です。石造りの堂々としたものです。

 私は鳥居を見るたびに、不思議な思いがします。

 二段目の貫は柱に貫通されていますが、屋根に当たる部分

 は乗っけて在るだけです。しかも真ん中で継がれ、支えが

 一つあるだけです。

 柱も末広がりですが、根元は台石にはめ込まれているだけ

 で、真横から見れば、ただの一本の棒のようです。

 こんな簡素な造りですが、中越地震の際に屋根に当たる部

 分が落ちた物もあったようですが、倒れたり壊れてしま

 た話は聞きません。

 こんな構造や形は、一体何処から来たのでしょう。

 

 

 「こうりゅうじんじゃしゃそう」と書かれた標柱にもある

 通り、この神社を取り巻く森は十日町市指定の天然記念物

 になっています。

 

 

 この神社の云われ書きがありました。

 新田義貞が稲村ケ崎で、荒れ狂う海を鎮めたまえと龍神に

 太刀を献じた場面は、戦前の教科書にも載っていたそうで

 す。

 確かこの合戦では、越後勢は化粧坂から鎌倉に攻め込んで

 います。

 

 太平記によると、大井田経隆は2000騎の軍勢で、鎌倉打倒

 の旗を上げた新田義貞に加勢していますが、その後、名前

 が見えるのは子の氏経です。

 

 (備中福山城の勇戦、後醍醐皇の比叡山へ避難の守護、

 東坂本・比叡山の攻防戦。)

 

 この戦いで勝利した足利尊氏は、光明天皇を即位させて北

 朝を擁立したため、南北朝動乱の時代に入ります。

 

 新田義貞は桓良親王を奉じて、越前金ヶ崎城に立て籠もり

 ます。大井田氏経は一族の大井田義政を残し、越後の北朝

 勢力に対抗するため大井田城に帰っています。

 

 

 鬱蒼とした杉の古木に囲まれて参道が続いています。人の

 背よりも高い石灯籠が、杉の根方に配置されていました。

 

 

 石段の基部から神社の拝殿を見上げます。

 

 

 神社前の広場です。手水舎と土俵がありました。

 

 

 

 杉、檜、ブナに囲まれて拝殿と本殿が建っています。深と

 静まり返った空間は、ただ清浄そのものでした。

 

category: 神社仏閣

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道草もそろそろ終わりに 「秋葉三尺坊大権現」  

 

 長い石段を上がると、秋葉三尺坊大権現が鎮まる秋葉神社

 が正面に現れます。参道の真ん中の石柱はお百度石です。

 この神社は常安寺の守護神として、天文20年(1551年)に

 上杉謙信が楡原の蔵王堂から遷したと伝えられています。

 火伏の神様として名高く、「火防日本総本廟秋葉三尺坊大

 権現」として多くの尊崇をあつめているようです。

 神社の周りには、句碑や歌碑それに日清、日露、大東亞戦

 争の戦没者慰霊塔が建つ公園になっています。

 

 

 手水舎も忘れてはいけませんね。手を清めてから参拝しよ

 うと思います。

 

 

 拝殿の入り口に、こんな文化財の説明がありました。

 

 

 参拝した後に、拝殿内を写させてもらいました。

 

 

 説明にあった算額です。難しそうなことが書いてありまし

 た。

 

 

 奥の院に、こんな文化財の説明が有りました。

 

 

 奥の院は弘化3年(1846年)の落慶だそうですが、彫刻は

 安政年間に8年の歳月をかけて彫ったものだそうです。

 作者は、最近越後のミケランジェロなどと言われている石

 川雲蝶と小林源太郎の共作だそうです。

 

 

 これは正面右角の彫刻です。鞘堂の金網が邪魔で、鮮明な

 画像になりません。

 

 

 これは正面から見て左側です。

 

 

 拡大してみます。金網が鮮明です。

 

 

 これは、裏側です。

 

 

 拡大してみます。

 

 

 これは、右側です。

 

 

 拡大してみます。

 東西の別は、彫刻を凝視して、説明文と照らし合わせてみ

 て下さい。鮮明な写真でなくてすみません。

 

 

 

 神社の左手に在る鐘楼です。

 

 

 鐘楼の傍から、紅葉と神社を写してみました。

 

 公園内の句碑や歌碑もご紹介したかったのですが、道草が

 長くなりすぎたのでここまでとします。また何れ、ネタに

 詰まったらとり上げるかも知れません。

 この後、白鳥を探しに車を走らせたのですが、白鳥の方は

 一足お先に終了しています。

 何回にも渡って道草にお付き合いいただき、ありがとうご

 ざいました。

category: 神社仏閣

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道草の徒然に 「謙信所縁の常安寺」  

  

 この前の道草では、この参道入り口で終わっていたよう

  思います。謙信公所縁の常安寺と火防日本総本廟・秋葉

 尺坊大権現への参道です。

 左右の写真を画面に入れて撮った物を探しましたが、撮影

 していなかったようです。仕方ないので、縮小したものを

 並べて置きました。

 

 

 参道を行くと左側に手水舎がありました。不動明王が祀ら

 れ、龍頭から水が流れています。手水鉢には秋葉賽前と彫

 られています。

 

 

 常安寺山門です。

 この寺は天文20年(1551年)上杉謙信公(長尾景虎)が創

 建され、景虎の栃尾時代の学問の師で瑞麟寺五世の秦廉門

 察和尚が開山したものです。

 上杉氏の会津移封により、この寺も慶長3年(1598年)

 月に会津へ移っています。

 慶長6年には、上杉氏の米沢移封により常安寺も米沢に移

 りました。

 元禄14年(1701年)現在地に常安寺は再建されましたが、

 その間の事情を調べるに至っていません。

 

 

 常安寺本堂です。唐破風の立派な玄関が、寺の風格を現わ

 しているようです。

 余談ですが、日本の仏教寺院の建築様式の元は、唐の役所

 の建物だそうです。

 唐に仏教が入った当時、経典や仏像の置き場所として役所

 の建物を使ったそうです。日本でもそれを真似て寺を造っ

 たのですね。

 (現在の常安寺本堂は、昭和54年に建てたものです。)

 

 

 

 常安寺の庭前に、新潟県指定文化財の一覧と内容、それに

 栃尾市指定文化財の一覧と内容を栃尾市教育委員会が掲げ

 てありました。

 栃尾市は長岡市と合併していますので、長岡市教育委員会

 が引き継いでいるのでしょう。

 内容の歴史遺産は、上杉謙信と景勝に関するものです。

 (常安寺所蔵)

 

 

 本堂を左に行くと、お地蔵さまが並んでいます。子供の健

 やかな成長を見守り、不幸にして賽の川原に行ってしまっ

 た子供を救うと云う優しい菩薩さまです。

 

 

 お地蔵様の前から振り返ると、小さな石塔がいっぱい並ん

 でいます。白い菊の花が手向けられていました。

 

 

 お地蔵さんと別れると、長い石段が現れます。百段までは

 数えたのですが途中で数え損ない、なん段あったのかわか

 りません。

 この石段を上ると、秋葉三尺坊大権現の社と公園が在るの

 ですが、それはまた後日に。

 

category: 神社仏閣

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続ふる里を守る観音様の鐘の音  

 

 

 お堂の入り口に掲げられている岩窟堂の扁額です。

 

 私が小学生低学年の頃に、一夏、このお堂に泊まり込んで

 勉強していた大学生がいました。何を勉強していたかも、

 どこから来た人かも子供でしたから知りませんでしたが、

 ふと思い出しました。 

 

 

 堂内の天井画です。龍は仏法を守護するとされています。

 

 

 欅造りの堂内の格子天井の絵です。

 

  欄間の彫刻は、仏法の物語を現わしているのでしょうか。

 

 

 

 

 久しぶりに見ましたが、彫刻が細やかで美しいです。

 

 

 絵馬と、馬の作業用の縄です。何時頃奉納された物か。 

 

 

 岩窟堂の岩屋です。馬の鞍が奉納されています。

 

 

 北側から見た岩窟堂です。

 

 

 お手水です。お祭りの時は屋根を掛けます。

 

 

 大正記念と書かれた旗竿の受けです。金属製の掲揚塔が建

 っていたからもう使わないのかな。

 

 

 鐘堂へと続く道です。右の斜面の藪は、草相撲の興行をし

 ていた頃の桟敷のゴザ下に敷く柴刈り山だったそうです。

 もう大きすぎて、敷物の下敷きには向きません。薪ほどの

 太さがあります。

 

 鐘堂の手前を右に行くと、山頂に続く尾根道があります。

 道沿いには多くの石仏が安置されていたのですが、今回は

 見て来ることが出来ませんでした。

 

 

 柴刈り山の手前は沢で、細い流れがあります。此処に葦津

 を張り、力士風呂場を作った所です。

   

 

 岩窟堂を南側から見ます。石垣の下の広場で草相撲の興行

 があったのですが、以前訪ねた時に微かに残っていた土俵

 の跡消えてしまいました。

 

 岩窟堂の岩屋の上には大きな洞窟があり、秋葉神社が勧請

 されています。

 

 

 振り向けば観音像が、静かに見守ってくれていました。

 

 

 200段の石段を上から覗いて見ました。

 

 この石段や境内の忍び返しの石垣、岩屋に組み込んだ欅造

 りの岩窟堂などを見ていると、往時の人の信仰の篤さに驚

 いてしまいます。

 現在これ程の物を造ったら、どれほどの金額になるのか、

 そら恐ろしささえ感じます。

 

 (石段脇に咲いていた花)

 

 チゴユリです。稚児百合と書くのかな。

 

 

 シャガです。

 

 

 こんな雑草の中でも懸命に咲いています。 

 

 

 昨年の水害でえぐられた斜面です。

 

 

 この先に石段があるのですが、水害での修復が出来ていな

 いのでこうなっていました。自己責任で、慎重に上って来

 ました。

 お祭りはどうなるんだろうと思いながら、終わります。

  

category: 神社仏閣

ふる里を守る観音様の鐘の音  

久し振りにふる里の山の中腹、松阪に祀られた馬頭観音のお

堂に参って来た。大倉松坂観音と呼ばれ、親しまれている観

音様である。

5月19日は養蚕(カイコ)のお祭り、7月19日は馬のお祭り

で、美麗に飾られた馬を連れた参詣人が多くて賑やかなもの

であったと聞く。

私が子供の頃でも何頭もの馬が、飾られて繋がれていたのを

記憶している。

7月のお祭りでは草相撲の興行もあり、香具師も店開きをし

ていて楽しいものであった。

ここまで書いていて思い出したのだが、観音様のお祭りでは

学校が休みになったのである。

後に半ドンになり、中学生の頃は無くなったように思うが、

50円玉を握りしめて祭りに行った事が懐かしく蘇って来た。

 

 

 200段の石段を見上げる。

 

 

 途中で一休みして上を見上げる。

 

     

   定かではないが、大正時代の風景であろうか。

 

 

 馬頭観音をお祀りする岩窟堂である。

 

 

 これも定かではないが、大正時代の風景であろう。

 

 

 現在のお堂の内部である。ご本尊の馬頭観音像は、お祭り

 の日以外は旦那寺の普門院に安置されている。

 

 

 これも大正時代の、堂内での読経の風景と思われる。

 

 

本堂から南に行くと鐘堂と石造りの五重塔、それに近年建立

された観音像が建つ一角に出る。右の石碑は、いわれを記し

石文である。

 

 

時知らずの鐘と云はれ、誰が何時鳴らしても良いこととされ

ている。

 

 「願わくば善男善女に幸あれと突くは松坂観音の鐘」

 

     

大倉松坂観音鐘堂鐘初め式とある。やはり大正時代のもので

はないかと思う。

 

 

 鐘堂から見える大倉集落の風景。

 

 

 これは大正時代の風景であろう。 

 

鎌倉時代、執権北条経時の寛永年間(1243年)に、僧自円が

頭観音像を背負い来て、大倉松坂の地に安置された古い歴

史の大倉松坂観音である。一心に観音の称名を唱えると、

世の祈願が成就されると伝えられている。

 

                       つづく 

category: 神社仏閣

石川雲蝶の彫刻と西福寺開山堂  

「魚沼市西福寺開山堂の石川雲蝶作の彫刻群と襖絵です。」

 

今回のエントリーは(こりぁ! オラ・Uーtanさん)のご要望にお応えしました。

解説不能ですので、最後に開山堂のアドレスを張っておきます。 

 

 

 開山堂 堂内全部彫刻です。

 

 

 梁にも柱にも彫刻が。

 

 

    欄間にも彫刻 襖絵も

 

 

 雲蝶作の襖絵です。

 

 

 襖絵 床柱の埋め木細工 書院障子の細工

 

  

 書院障子の細工彫刻

 

   

 大縁廊下

 

   

 廊下床板の埋め木細工の数々。50ヶ所以上あります。

 

とても全部載せきれません。開山堂内のパノラマ写真が下記の開山堂ホームページにあります。参照してください。

 

 

「開山堂HP  http://www.saifukuji-k.com/

 

 

 

 

 

 

category: 神社仏閣

初詣に行ってきました  

穏やかな日和となった元旦の朝に、初詣に行って来ました。

 

この神社は清水川辺神社です。小出総鎮守となっています。

 

 

作法が苦手でも、神社に足を運ぶ気持ちが大事なのです。

 

 

雪に囲まれて、古よりこの地に鎮まる神社本殿です。

 

 

社務所です。日の丸の赤が目に染みます。

 

 

午後から市内堀之内の八幡宮へお参りに行って来ました。

 

 

鳥居に雪が積もらない工夫がしてあります。

 

 

立派な手水鉢です。文政二年の文字があります。

 

 

拝殿と本殿です。貞和五年(1349)京都石清水八幡宮を勧請したと伝えられる神社です。

願い事が沢山なので、神社の梯子をしてまいりました。

 

 

category: 神社仏閣

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