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3月1日 遠い春  

 
今日から三月、
   練習を始めるか。と思ったけれど。

趣味の道具

雀が生る山桜の蕾はまだ固いし。
桜はまだか

庭にはタップリ雪が有るし。
庭の雪

イチゴの木の傍も雪がいっぱいだし。
イチゴの木の傍で

小さな菜園の雪は、だいぶ片付けたが。
小さな菜園の雪

寒いし、練習はやめておこう。
        と怠け心が・・・ま~~いいか。


  今日は『春雨/村下孝蔵/photo by石原さとみ』この曲で・・・
 

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ボロボロになった手の平の思い出  

 

 3年前に植えた南天ですが、倍ぐらい背が伸びました。家

 内の実家から分けてもらったのですが、軒下に植えたら良

 いよと言われてさあ大変。ウチは冬場の融雪のために、家

 の前全部と3方は幅2mをコンクリートにしてあります。

 

 仕方ないので写真の場所をコツコツとハツッて穴をあけ、

 出て来たセメントと撹拌して地盤改良した硬い土を1mく

 らい掘り下げました。ここまでで5日かかりましたが、よ

 うやく普通の土が出て、水を入れても自然に抜けるように

 なりました。

 

 後はホームセンターでレンガを12個と袋入りのモルタルを

 買ってきて写真のように積み上げました。これは2時間く

 らいで出来ました。

 

 レンガを積んだ翌日、軽石に腐葉土を混ぜて穴を半分埋め

 ました。次に鹿沼土に腐葉土と畑の土を混ぜてもう半分埋

 めて、大量の水を注いで土を落ち付かせました。後はレン

 ガ部分に残りの土を入れながら、南天を植えて完成です。

 もちろんジョロでたっぷりと水やりしました。

 

 写真のように、たったこれだけのことで南天を植るまでに

 1週間かかりました。最初から計画しておけばこんな手

 は要らなかったのにと、ボロボロになった手の平を眺めな

 がら思った覚えがあります。

 

       

 例年より早く、12月11日に降りだした雪が南天の葉や紅い

 実を白く塗りつぶしていきました。

 

category: 雑 感

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「一年経ちました」  

  

 初めて見た菊です。なまえ?判りません。

 

 

 これも菊です。なまえ?お手上げです。

 

  

 

   

 

  

 

 

 越後一宮弥彦神社の、菊祭りの様子です。今年も11月1日

 から開催されます。毎年見に行っていますが、出品者のご

 苦労と情熱が伝わって来る作品が多いですね。

 菊の花言葉は「高貴」日本の秋を代表する花です。

 

 

 昨年の10月26日にブログを始めて、満1年になりました。

 

 

 先ほど集計を見たら、アクセス156.047、お気に入りRSS6

 56、ブックマーク48、トラックバック46、コメン3.392

 となっていました。

 

 私がエントリする魚沼の四季や歴史のことなど、見て頂

 るものかどうかと思っていましたが、大勢の方にアクセス

 してき、また大勢の方にコメントを頂戴して感激してお

 ります。

 

 何時まで続けられるか分かりませんが、これからも宜し

 願いいたします。

 

category: 雑 感

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床の間  

 

 わが家の床の間です。大小二振りの刀には本身は入ってい 

 ません。いわば飾りです。

 十畳のこの部屋以外に畳の部屋がありませんので、ゴロリ

 と横になりたい時に利用しています。

 普段は客間ですが、仏壇があり、神棚もありの和室です。

 

 床の間の起源には色々な説があるようですが,良く解かっ

 ていないようです。南北朝時代には付書院や違い棚と共に

 作られていたようです。

 

 江戸時代は、庶民が床の間を作ることは身分不相応と禁じ

 られていました。何度も禁令が出ましたが、実際にはあま

 りにも床の間が普及したので、露見しても不問にされ

 ることが多かったようです。

 

 私は方位など気にする方ではありませんが、人のがるこ

 とを敢えてする訳にもいきません。

 

 床の間を

     北に設置・・・南向き   ・・・最優良相

     西に設置・・・東向き   ・・・発展良相 

     北西設置・・・東南向き  ・・・吉相

     東南設置・・・北西向き  ・・・吉相

     南、北東・・・凶相、避ける事

 

 これは家の図面を引く前に、大工の棟梁と話したことを

 モしたものです。ちなみにウチは、西に設置しました。

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映画「季節風の彼方に」の思い出  

 

 

 

 

あらすじ 季節風の彼方に

 

http://movie.goo.ne.jp/movies/p25764/story.html

 

↑こちらで見て頂ければと思います。

 

  

主人公文江(久我美子)   幸田先生(高倉健

 

図書室を作るため炭俵を運ぶ仕事をする文江と生徒たち。

 

  

復職する文江を迎える生徒たちの歌声(季節風の彼方に)

 

この映画は北秋田の寒村を舞台にしているが、ロケ地は私のふる里でありました。

まだ鼻たれ小僧だったその頃の私は、何も無い川原に駅舎のセットが出来あがったり、先輩の中学生たちが、エキストラで映画に出演しているのを遠くから眺めていただけです。

雪の場面を撮るのに、雪の上を歩けない久我美子をロケ地まで背負って行った爺さんから、後年話を聞いたことがありました。ずいぶん細くて軽くて美人だったそうです。

映画の中で曖昧宿の女中になった芳江役は、お姫様役で一世を風靡した中原ひとみさんでした。

主人公文江の父親役は東野英治郎さんでした。今思うと、ずいぶん豪華な配役の映画だったんですね。

私が卒業した中学校の校舎も、この映画を撮影していたころと殆ど変っていませんでした。現在は学校は移転され、跡地には公営住宅が建てられています。

50年以上昔の、微かな記憶の中にあった映画のお話でした。

 

「炭背負いのこと」

若い娘さんが二表(32㎏)も背負っています。

炭俵は一俵四貫(16kg)あります。男なら4表、女でも2~3表背負ったものです。

私が小さな頃は、当たり前の光景でした。

 

(写真は青森県郷土館ニュースさんからお借りしました。)

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落穂拾い  

 

 「落穂拾い」 1857年 ジャン=フランソワ・ミレー

 

 19世紀中ごろの貧しい農民の逞しい姿を描いたものです。

 

 当時のフランスでは地主に雇われて働くと、手間賃の他に

   収穫の10%にあたる落穂を拾う権利があったそうです。

   

  

  魚沼の山村では昔から稲刈りを終えると、落穂は田の神様

 の分と言って、野鳥たちの啄ばむまかせていました。

 天気回りの良い年には、稲株から芽を出した稲が実ること

 があります。そういうものも自然に任せるか、願えば誰で

 も収穫できたと聞いた覚えがあります

 

  

 近年は稲刈りも大型のコンバインが主流ですから、雀たち

 の取り分は昔よりくなったはずです。

  

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蝶々  

 玄関脇の南天に戯れるモンシロチョウです。8月の朝の光

 が、羽を透けさせています。

 モンシロチョウの幼虫が青虫ですが、アブラナ科の作物の

 大敵です。葉っぱなど、穴をあけられたらたちまち葉脈を

 残し食べ尽くされます。

 天敵は鳥類や足長蜂などですが、アオガエルも青虫を良く

 食べます。

 わが家の菜園にはアオガエルが多く住みつき、青虫の捕食

 に精を出しているようです。

 

 

 

    「呼びました。」いや、呼んでないから。

 

 

 ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ 菜の葉に

 飽いたら 桜にとまれ 桜の花の 栄ゆる御代に とまれ

 よ あそべ あそべよ とまれ

               1番(野村秋足作詞)  

 

 

 おきよ おきよ ねぐらの雀 朝日の光の さしこぬ先に

 ねぐらをいでて 梢にとまり あそべよ雀 うたえよ雀

               2番(稲垣千頴作詞

 

 戦前に歌われていた小学唱歌「ちょうちょう」の歌詞を紹

 介してみました。それにしても1番と2番で作詞者が違

 し、蝶々の歌から雀の歌へ変化する面白い歌です。

 

 1番の歌詞で「桜の花の栄ゆる御代に」の部分は現在「桜

 の花の花から花へ」に変更されていますし、2番は削除さ

 れています。

 これは昭和22年に文部省が発行した「いちねんせいのおん

 がく」で変更されました。

 

 

     「呼んだ。」いや、呼んでいないし。

 

 

 

 

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月下美人とタカノツメ  

  

 今年も唐辛子(タカノツメ)が赤く色付き、収穫できるよ

 うになってきました。これから秋遅くまで、次々に赤く、

 辛く熟してきます。

 食欲の無いときは辛い物が良いですね。汗をいっぱいかき

 ながら食べると、暑さも吹き飛びます。

 

    

 

 残暑厳しいおり、古い友人から残暑見舞いが届きました。

 残暑見舞いには、手書きの月下美人の花が添えられていま

 した。

 何でも、月下美人の花が開くのを友人宅で鑑賞し、感激し

 て描いたものだそうです。

 もちろん葉書の絵は印刷したものですが、こういうものを

 頂くと嬉しいですね。清々しい涼風を運んでくれた心地が

 しました。

 

  

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只見線を走った蒸気機関車  

 

 上越線小出駅から、1㎞ほど離れた魚沼市上の原の児童公

 園で余生をおくる蒸気機関車C1146です。

 

 

 まだ全線開通していなかった只見線の小出ー大白川間を、

 真っ黒な煙を吐きつつ走り続けた蒸気機関車です。

 

 

 沿線住民いろんな思いを乗せて走った蒸気機関車です。

 1971年5月2日、只見線さよなら列車を牽引したのを花道に

 1972年3月27日に廃車になりました。

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「スノーライダー」  

 スノーライダー」何をしているのでしょう。

 

何をしているかと言うと、スノーモビルに乗っているのです。たしかYAMAHAの450㏄だったと思います。この写真は5~6年前の物ですが、最近頂きました。

身体がすっぽりと埋まる様な新雪の中でも、スノーモビルを自由自在に動かせたものですが、今は翌日の筋肉痛の心配が先に立ちそうです。 

 

 

何故立ち上がって身体を前に出しているかと言うと、風と一緒に巻き上げた雪で視界を奪われないように、そうしているのです。

新雪の中で走らせると、かろうじて首から上が雪煙りの上に出ている状態ですよ。スキーで新雪の斜面を滑っている感覚に近いかな。

スキーは、自由落下のスピードをコントロールしていくスポーツだから、もっと爽快で楽しいです。

スノーモビルは、アクセルワークと重心移動が全てかな。

 

 

コースを踏み終わった後で、クロスカントリースキーのクラシカル競技のシュプールを引いています。この時は後ろの橇に取り付けた型を押して行くので、橇に乗る人が役目を理解していないと良いコースが出来ません。

 

最近はスキーも引退状態だし、お腹周りはポヨヨンだし、運動不足の解消をしなければと思うのですが、そこは生来の怠け者ですから。

 

もう忘れかけていたのですが、写真を頂いて、懐かしさにエントリーまでしてしまいました。

 

 

 

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モフモフとした雪うさぎ  

少し遅くに帰ってきたら、玄関先に雪の塊が台の上に置かれていた。何だろうと思う間もなく感知器が灯りを点けてくれたら、3羽の雪うさぎが出迎えてくれていた。

 

 

 午後から見舞いに来てくれた親戚の子供の作品であった。

 

 

 お父さんうさぎ。何だかモフモフとした感じがする。

 

 

 お母さんうさぎ。何とも愛嬌のある顔をしている。

 

 

 これは子供のうさぎなんだそうだ。自分なんだろうけど。

 

来年は小学校に入学する子なんだが、この雪うさぎの代償は高くつく予感がする。それはともかく、これは勝手に片付けるわけにはいかない。溶けてしまうまで、玄関先で頑張って貰うとしよう。

 

 

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かいだんは怖かったが、退院します。  

「かいだんは、怖い」で報告しました家内が、本日退院いたします。12月29日未明から1月14日までの入院でした。当初はもっと掛るかと思いましたが、わりあい回復が早かったようです。

皆さまには色々とご心配をお掛けするやら、暖かなお励ましの言葉を頂戴するやらで、恐縮すると共に感激いたしておりました。もう一度ここでお礼申し上げます。

 

 

退院したとはいえ完治した訳では無く、全治2カ月は変わらないとお医者さんに言われています。今後は通院とリハビリに精を出して貰おうと考えております。

 

 

と言う事は、家事全般を私が担う訳か。まあもう暫らくしょうがないか。掃除洗濯は訳無いんだが、炊事がねえ。まあ少しくらい不味いのは、料理の品数の少ないのも我慢してもらおう。

そんな訳で主夫無才誕生となりました。この先どんなドタバタがあるか、楽しみなような、そうでないような。まあ何とか。

 

  

これが例の怖いかいだんです。階段が怖いのではなく不注意が怖いんですが、これからは気を付けたいと思います。

 

それではこれから病院に迎いに行って来ます。わが家の重大事件の報告もこれで終わります。ありがとうございました。

 

 

 

 

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かいだんは、怖い。  

暮れからお正月にかけて、病院と自宅を行ったり来たりでした。

 

12月29日深夜12時30分頃ドスンという音に目を覚ますと、オカーチャンが階段の下で七転八倒していました。階段の踏み外しです。

 

右顔面軽い擦り傷。左右の手首に強い痛み。右足ひざ下にパックリ傷。筋と骨が見えた。動かせないので、毛布をかけてから119番。

 

順調に救急車が到着し、市内の県立病院へ。

 

右手首複雑骨折翌日手術。チタンブレードとステンレスワイヤー、それをボルトで固定。とりあえず添え木で固定。
左手首単純骨折。添え木にて固定。
右ひざ下パックリ傷。洗浄の後縫い合わせ。

 

で、今日から歩く許可が出て、歩いてトイレに行けるようになった。一安心だが疲れたお正月であった。

 

オカーチャンは職場の仲間とのボー年会後であったが、これから新年会等で飲む機会のある方々、充分お気お付けください。かいだんは、こわいですよ。

 

文中のオカーチャンとは、我が女房殿です。m(__)m

 

 

 

 

 

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あけましておめでとうございます  

 

 

                謹 賀 新 年

 

 

 

昨年10月26日にブログを開設し、あっという間に2カ月が過ぎ正月を迎えています。

取るに足らない身辺雑記にも関わらづ、大勢の方にアクセスして頂きました。大変ありがたい事と思っています。

写真の年賀状は、20011年12月27日「メジロよ来たか その2」の最後の写真で作りました。出来上がったた年賀状を、デジカメで撮ったのですが曲がってしまいました。正月を寿ぐ気持ちだけお汲み取り下さい。

平成二十四年が皆様にとって良い一年でありますようお祈り申し上げます。

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追憶と錦鯉のふる里  

小千谷市と長岡市の境界付近を流れる信濃川です。背後の山は、朝日山です。戊辰の北越戦争では、河合継之助率いる長岡軍と、官軍との激戦がありました。どれくらいの激戦だったかと言うと、後の陸軍の総帥山片有朋、(当時は狂介ですが)以外の幹部が戦線を支えきれないと、退却を求めたと云うほど敗色が濃かったようです。一時は戊辰戦争そのものを、揺るがすほどの戦いだったのです。

 

向こう岸の赤い橋の所から山に入ると、錦鯉のふる里とも言うべき、小千谷の山間集落と旧古志郡山古志村があります。

 

 

         元気に泳ぐ錦鯉です。             

 

 

    エサを貰えるかと、重なり合って集まります。

 

  

 

   

 

  

 

新潟県中越地震の事を、覚えておられるでしょうか。平成16年(2004年)10月23日17時56分に発生したM6.8、震源の深さ13km、瞬間的には、阪神・淡路の大地震を上回る直下型の大地震でした。

避難住民最大10万3000人、死者68人、重傷633人、軽傷4172人、住宅全壊3175棟、半壊13810棟、一部損壊105682棟、山間部中心の地震で、これだけの人と生活基盤の被害でした。

道路、鉄道、ガス、水道、下水道などインフラの被害も甚大なものが有りました。

 

 

地震の際に崖崩れのあった旧国道17号線の跡です。現在では復旧されていますが、川に落ちたガードレールやアスファルト、岩屑などに、当時の様子が見て取れます。

 

 

旧山古志村や小千谷の山間集落の人達は、昔から飢饉や戦争、災害があっても、錦鯉を大切に守って来たのです。

泳ぐ宝石とも言われ、投機の対象にすら成った事のある錦鯉ですが、それは錦鯉の責任ではありません。

今ごろは錦鯉のふる里にも、静かに雪が降り積もっていることと思います。

  

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農業とはなんだ  

唐突ですが、最近の発掘調査で稲の栽培は弥生時代からではなく、縄文後期にまで遡ると何かで読んだ覚えが有る。そうであっても無くても、日本人とお米とは随分と長い関わりで有る事を再認識させられた話であった。

 

律令が国是の時代に公家の私領である荘園が出来た。公家による政治の腐敗である。
当時の自作農民は開墾して田畑を増やしても、有力な公家に献上しその庇護の下で荘園の支配権を許される事しか出来なかったのである。(武士の誕生)


保元の乱以降公家の無力化、武士の政治への進出が起き、やがて平氏による武家政治がはじまった。(荘園の壊滅と武家による政治への進出、農地の支配)
農地の相続争いなどの平氏の調停能力に不満が生じ、源平合戦の結果、頼朝による鎌倉政権が誕生する。(鎌倉幕府の誕生)

 

武家=自作農民であるから、自作農民による政権が誕生したとも言える。

 

随分すっ飛ばした書き方だが、これは論文でもレポートでも無く只のお気楽ブログで有るから仕方が無い。

 

話は随分と端折るが、応仁の乱以後約百年に渡る戦国時代に「下剋上」「兵農分離」が進み、日本は信長により近世への扉を開く事になり、秀吉が継承発展させ、家康の手によりその後250年の安定した世を作り出すことに成功する。
家康は江戸幕府を開くにあたり、頼朝の鎌倉幕府を大いに参考にしたと言われている。ただそれを機能させる官僚機構は、三河の小大名だった頃と同じ「老中」「若年寄」などの名称を使用したものらしい。
江戸政権では「士農工商」と身分を分けたように、兵と農を完全に分離させた政権であった。但し農は自作農を基本としたのであった。

 

日本各地に残る大地主(戦後の農地改革で没落したが)などは明治になってから出来あがったもので、年貢(税)が物納から金納に変わった影響なのである。現金を持たない当時の農民にとっては青天の霹靂そのものであったろう。
農民は税を納めるに当たり、土地を担保に商人から金を借りて収めたのである。不作の年には借金が返せなくなり、また借りるが続けば農地は貸し方の所に集まり、大地主の誕生となったのである。「出羽の本間か本間の出羽か」と戯れ歌にも歌われた本間家などはその象徴であろう。

 

話は飛ぶが明治の顕官大久保利光のことである。

或る日京都の嵐山から、内務卿である大久保の所へ面会者があった。大久保は人の話を良く聞く人で、事情の許す限り面会者の話を聞いたそうである。その嵐山から来た人によると「徳川様の世では嵐山の景観を保つに手当てを厚くしてもらっていたが、最近はそれが無いので山が荒れて困る。」と言うような事であったらしい。

 

大久保は大いに恥入り、倒れるとも思えぬあの徳川幕府を倒しはしたが、それは政治的停滞を招いた幕府を倒し、日本を富国強兵にし、西洋列強に侮られないようにするためであった。幕府がそのような細やかな政治、行政を行っていたとは思い至らなかった。と言い嵐山の景観保全に金を出すようにしたのだそうである。

 

日本の景観とは、古代から延々と受け継がれた水田農業が無ければ今の形では無かったであろう。日本人の誰もが「ふるさと」に抱くイメージとは白砂青松、里山水田ではないだろうか。実際は変化しつつ在るとは言え、我々の心の中にある物はしっとりとした其れであろう。

 

白砂青松は日本の自然には元々無かった景観である。先人が一本一本砂の中に植えて行った物なのである。何の為と言えば、それは田畑を守るためにである。里山もそうなのである。人にとって有用な木を残し、間引き、林の中を掃き清めるが如く葉を集め、堆肥を作り田畑に施す。燃料にする薪や炭は山を割り振り、自然のサイクルに従い順次利用して行ったのである。

 

驚いた事にそのような暮らしは私が子供の頃まで、もっと言えば減反政策が始まるまで延々と続いていたのである。

都会地に近い農業はそれの求めに応じて変化して行ったのであろうが、現在中山間地と言われる所は少なくともそうであったのである。

 

ここまで書いてきて私はハタと困っている。この先を書けば生な時事を引っ張り出さねばならない。一度引っ張り出してしまえば歯止めが利かなくなる。一度参加を表明すれば後戻りのでき無いTPPの様なものである。それでもTPPは国民合意の上各界の要求を纏め、交渉のテーブルに着くのであれば納得が出来る。

ほら、すぐにこう言う事を書いてしまうのだ。こう言う事は分析能力の高い高学歴者が買って出るもので、私の様な低学歴者が俗な意見を述べるものではない。

 

            長くなったのでこれで終わる。

 

 

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