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2015年10月の記事一覧

魚沼三山に雪が降る  

「遠回りして」と題して、山古志の現在を記してきましたが、その間に魚沼の里は、錦秋の秋から晩秋へと移行しつつありました。遠くに思いを馳せ、近くを見ないで日を送っていた感があります。
 今朝もかなり寒いな。と思いながら何気な魚沼く三山の方を見たら、垂れ込めた雲の合間に、白いものが山の中腹まで下がっていました。寒いはずです。昨夜も山には雪が降っていたのですから。
 

『魚沼三山に雪が降る』垂れ込める雲に頭を隠された三山に、今秋なん回目かの雪が降る。高山は、もう到に冬である!
魚沼三山雪が降る
魚沼駒ヶ岳に雪が降る 魚沼駒ヶ岳2003m
中ノ岳に雪が降る 中ノ岳2085m
八海山に雪が降る 八海山1778m

『権現堂連山と魚沼市街』魚沼市中心街の北に横たわる権現堂(998)とその千m級の連山。雲は低いが降雪は無い!
権現堂連山と我が街

『広瀬谷方面』左は鳥屋ヶ峰、右は権現堂から下る尾根。広瀬谷最奥の六十里峠を越えれば、福島県只見町へと至る。雲多し!
広瀬谷方面

『未丈ヶ岳と魚沼市街』奥只見の未丈ヶ岳(1552.9)を遠景に、魚沼市街を撮ろうとしていたら雨が降って来た。撤収!
雨が降って来た

 かなり暗い写真ばかりで恐縮ですが、雪雲と言っても良いような雲が空を覆っていて、これで精一杯の風景写真です。写真の荒い所は、心眼で見て頂ければ幸いです。(^◇^)ノ
 雪国に雪が降る。何の不思議も無いけれど、いよいよ雪に備える季節になったのか。と少しばかり憂鬱になると同時に、これからの仕事の段取りが浮かんできて、浮き立つような気分でもあります。

 
 

category: 風 景

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『小松倉集落散策』遠回りして~11  

 小松倉集落の水路隧道の取材を終えて、山古志地域でも数少ない自然に出来た池、男池を見に行きました。周囲300m程の池が湧水を湛えて、山や木立を水面に写していました。

『男池』大蛇伝説の池でした。人家から離れているので、如何にもな感じがしました。
男池
 昔は、小松倉にも小学校が在ったと聞いたことが有ります。集落総出の運動会をしたのでしょうか。 
男池2
 コイやフナが釣れるそうですが山古志地域は、錦鯉の本場ですから見事な錦鯉が釣れるかな。
男池3

『剥き出しの山肌』中越大震災時かそれ以前にか、男池の近くにも山崩れの跡が見て取れます。
剥き出しの山肌
 紅葉が始まった山は、剥き出しの崖さえアクセントにして、錦秋を迎えようとしていました。
剥き出しの山肌2

『山々に囲まれた小松倉集落』交通路も整備されて、何時でも買物に出かけられます。
小松倉遠景
 中越大震災以後、世帯も住民も半数になりましたが平和で穏やかな山里に復興されたようです。
小松倉の家々

 小松倉集落には、他にも見所が沢山あったのですが回り切れませんでした。来春、野山の花が咲くころ出掛けてみたいと思っています。

「取材メモから」 
 今回、小松倉に小学校が在ったことに触れました。その小学校へは、小松倉の分村芋川集落からも子供が通っていました。山を越え山襞を縫う通学路の途中には、人が通る隧道が掘られていました。
 子供たちは、学校での滞在時間2時間半で下校しなければならないほど遠い道のりだったそうです。それも芋川集落に分校が出来て、解消されたそうです。年寄りからの聞き書きですから詳細は分かりません。
(芋川集落は、古志郡から離れ魚沼の広瀬村(現魚沼市)と合併して、現在に至っています。)





 

category: 風 景

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『小松倉集落散策』遠回りして~10  

 中山隧道に置いて在ったパンフレットで、さらに古い手掘り隧道が小松倉集落に存在することを知りました。山古志の小松倉集落には、映画『掘るまいか』の舞台となった中山隧道の他にも数多くの先人の苦労の跡を残しています。
 中越大震災の後、小松倉集落は、それまでの半数の15世帯37名になりました。しかし集落道を整備して散策路を造るなど、現在でも集落の整備に力を入れています。つるはし1本で中山隧道を掘った当時の強靭な精神力は、現在も受け継がれているようです。


『散策路の表示』要所に表示がされてあり、山里の風景を観ながら散策するのに便利です。それでは、水路隧道を観に行きます。
散策ルート表示

『ため池』山の色を映した池は、波紋一つ無く鎮まりかえっていました。池の向いに見える穴が、目的の水路隧道のようです。
ため池

『水路隧道』明治6年に掘られた手掘りの隧道だそうです。中山隧道を掘り始めた昭和8年より、60年も昔のことになります。
水路隧道

『水路隧道の内部』山向こうの水源の沢から250mもある手掘りの水路隧道です。
                 25年の歳月を費やして、小松倉集落の住民が一人で掘り抜き完成させたのだそうです。
水路隧道内部

『刈り入れを終えた水田』水路隧道を流れて来る水で耕作されている水田です。
水田

 小松倉集の城山の南側斜面に田を作ろうと、或る日一人の男が尾根の向こう側にある沢から水を引こうと考えました。
 男は、城山の尾根上から同角度と長さの縄を張って測量をして、両側から隧道を掘り始めました。ところが、下流側の隧道床が2mも高くなって失敗しました。
 水を引く想いを諦めきれない男は、水源側から勾配をつけて掘り進め、半生をかけて「水路隧道」を完成させたと言うことです。



 

category: 風 景

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『続ほるまいか』遠回りして~9  

 中山トンネルを潜り、山古志の小松倉集落に来ました。この地も山古志の他の集落と同じように、中越大震災で大打撃を受けました。震災後、集落の世帯は半数になり、人口も半数となりました。それでも挫けず、震災からの本当の復興に向けて、頑張っておられます。

『山古志小松倉側の中山トンネル』1998年に開通した全長913m幅8.5m高4.7mの県道トンネルです。
中山トンネル山古志小松倉

『古い写真』どこへ行くにも峠越え、この逆境に立ち向かい、先人たちが掘った小松倉の中山隧道です。
古い写真

『小松倉側中山隧道遠景』掘削開始昭和8年、開通昭和24年、先人たちが16年の歳月をかけて掘りぬいた隧道です。
中山隧道小松倉

『小松倉の中山隧道入り口』手掘りの隧道は、中山トンネルが出来るまで約50年の間、住民の暮らしを支え続けました。
小松倉中山隧道

『中山隧道現在の内部』隧道は何回もの改修を行って、最終的には普通車がギリギリ通れる大きさになりました。
中山隧道内部

『あらま、こちらも通行止』入り口から20m程で、通行を禁止していました。
通行止め

『中山隧道の経緯』隧道内に掲げてありました。
中山隧道の経緯書き

『認定書』新聞記事と一緒に隧道内に張られていました。
認定書

『ほるまいか』ほるまいかは、映画にもなっていました。と言うか題名です。観られた方も居られるのではないでしょうか。
掘るまいか

 現在でもツルハシの跡が残る山古志の中山隧道を、二編に渡りご紹介いたしました。左程詳細な説明ではありませんでしたが、これ以上は、随筆か紀行文に成ってしまいます。それは私の任ではありません。
 とは言え、これで終了では、せっかく取材した半分も使用していません。さてどうしたものか、などと考えるまでも無く、次回の構想は出来ています。・・・ほんとうかな~~(^◇^)ノ
 


category: 風 景

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十三夜の月  

 ブロ友のワンさまが、綺麗な十三夜の月をアップされていました。そのコメントに、こちらは曇って月が見えない。と書いたのですが、いつの間にか夜空は晴れ渡り十三夜の月が煌々と地上を照らしていました。寒い夜です。そう言えば北海道は雪だそうですね。

『十三夜の月』月齢12.1・撮影0:05十三夜の月

 豆名月や栗名月の異称を持つ十三夜の月を、昔の人も夜空を仰いで愛でていたのでしょうか。



 

category: お月さま

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『ほるまいか』遠回りして~8  

 魚沼市の水沢集落から山古志の小松倉集落を繋ぐ峠道が在りました。中山峠と言う里山程度のも山を、縫って越す峠道です。夏場ですと戦前までの人には、何の苦も無く行き来できた道でした。
 新潟県中越地方の南部は、聞くところによると人が住む地域としては世界一とも言う豪雪の地です。前述の中山峠を、雪の吹きすさぶ冬に行き来するのは至難の業でした。
 小松倉集落は、役場の在る本村へも遠く、山を幾つか越さないと行けません。病人が出た場合など急用の場合は、現在の魚沼市側へ来るのが一番近かったと言うことです。


『中山トンネル魚沼市側』現在は、この立派なトンネルが2つの地域を結んでいます。
中山トンネル魚沼市水沢
中山トンネル表示トンネル入り口の管理界表示

『中山隧道へ至る道』小松倉集落の人が掘った隧道があります。50年近く使われました。
中山隧道へ至
 道端をアカマンマが彩り、楓が紅葉を迎えた景色を眺めながら歩きます。
アカマンマ紅葉

『中山隧道が見えた』近年、入り口付近で落盤が在り、コンクリート吹付で強化してあります。
中山隧道が見えて来た

『中山隧道・魚沼市側』小松倉集落の人たちが、ツルハシを振るって掘った隧道です。
中山隧道

『中山トンネル・魚沼市側の風景』山を降りて撮りました。人里まで、遠くはありません。
下りて来た

「遠回りして」と言う連載に、今回は、『ほるまいか』と言う副題を付けてあります。「掘ろうじゃないか」と言う意味ですが、詳細は次回に譲りたいと思います。
 狭く小さな隧道ですが、私も普通車で隧道を通ったことが何回も有ります。通るに当たっては、入り口でクラクションを数回鳴らし反応を待ち、反応が無かったら恐る恐る隧道に入ったものでした。


 『人間なんて  吉田拓郎』
 







category: 風 景

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10月23日の月(宵月)  

 昨夜は、十日夜の月を撮影しようと思っていましたが、一面の曇り空で姿を見ることが出来ませんでした。今夜も曇りがちですが、なんとか月を撮影することが出来ました。
 
『曇りがちな夜空の月』撮影21時24分 宵月になり月の出没が徐々に遅くなっています。
お月さま1
『雲間から出て来た月』撮影21時25分 月出14:13 正中19:55 月没01:44 
お月さま2

 10月25日は十三夜、27日は十五夜で満月です。なんとか晴れてくれないかなあ~。(^◇^)


 

category: お月さま

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遠回りして~7  

 今日は、復興成った山古志の木籠集落(こごもしゅうらく)を散歩した時の風景です。雪国らしい、頑丈な作りの家が軒を並べています。
 木籠集落は震災当時の平成16年には、24世帯、人口67人でした。地震による地滑りで集落を流れる芋川がせき止められて、14世帯の家が水没しました。水没を免れた10世帯も全半壊の被害を受けています。
 国は、下流への被害を食い止めるため、水没した14世帯を残したまま震災で出来た堰止湖の自然堤防を保全することを決めました。
 仮設住宅での生活を送る間も集落の皆さんは、故郷へ帰ることを諦めませんでした。それを受けて、長岡市は木籠集落の一角に宅地を造成することを決め、工事に着手しました。
 避難してから3年後の平成19年に、14世帯32人が木籠集落の造成地に家を建て、集団移転を果たしています。
 (山古志木籠ふるさと会のページはこちらからどうぞ)

『震災からの復興記念碑』
山古志木籠集落の碑
 復興記念碑の側面と裏に、嵌め込まれていました。 
祈り祈り 旧木籠集落図旧木籠集落図

『復興成った木籠集落の家々』
新しい木籠集落の家々
復興なった木籠集落の家々
復興した木籠集落の家々
『芋川を隔てて、家が見えます』
川向こうの家
『芋川を隔てた建物』
芋川を隔てた建物

『震災ダム湖で集落を振り返る』
震災ダムで振り返る

 爽やかな風が時おり頬を撫でて行く、そんな秋の一時の光景を切り取ってみました。
「遠回りして」木籠集落編は、これで終わります。今度は何処へ行こうかな。



 



category: 風 景

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上弦のお月さま  

 失念していて、月の正中の時間に撮影することが出来ませんでした。少しだけ、ふっくらとしましたが、今宵の月を撮影することが出来て満足しています。(^◇^)。ノ

『上弦の月(撮影・10月21日・19:46)新潟市=月出12:48.・正中18:08・月没23:32
上弦 10.21

 ペニーレーンでバーボン (いつも蚊帳の外)
                   by 吉田拓郎
 
 
 

category: お月さま

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遠回りして~6  

 木籠集落の震災の跡を見て回りましたが、新しく復興した木籠集落へと歩いて帰ります。色付き始めた山々を観ながら、震災の跡を訪ねる方も多くいました。木籠橋の袂には、「復興記念館さとみあん」が建ち、里の人との交流の場にもなっていました。

『木籠橋から復興成った木籠集落』
木籠橋まで戻る

『修復中の震災に遭った家と木籠集落』
震災の家と新しい木籠集落

『復興記念館さとみあん』
復興資料館

『さとみあんの風景』
店先

『駐車場から木籠橋方面』
駐車場から木籠橋

『駐車場からの木籠集落』
駐車場からの木籠集落

『木籠集落の山々と震災記念碑』
木籠集落の山々

 今日の魚沼も良いお天気です。里山も色づき始めて、秋の気配も濃厚になって来ました。しかし、まだ山古志から立ち去ることが出来ないでいます。


 

category: 風 景

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10月20日の月  

 今日は久しぶりに忙しくて、朝食を食べて家を出たまま夜9時に帰宅しました。勤めていた頃は午前さまも珍しくなかったのですが、移動距離が長かったので疲れました。
 一心地ついて窓の外を見やると、昨夜より一段と膨らんだ赤い月が南西の空に傾き始めていました。


宵 月(21時33分撮影)明日は九日月、明後日は十日月の上弦です。27日は、いよいよ
                十五夜の満月です。明日も良いお天気だったらいいなあ。
10月20日の月
 
 (今宵は、広島弁で歌っています。)
 

category: お月さま

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今宵のお月さま  

10月19日 月齢6.1 弓張月 撮影19:01月もだんだんと太くなってきました。
弓張月

 弓張月は、弓を張ったように見える月の意味なのでしょうが、残念ながら異称は知っていても由来は存じておりません。
 弓張月と言えば、文化4年(1807)から同8年(1811)にかけて、曲亭馬琴作、葛飾北斎画の読本『椿説弓張月』全5篇が刊行されています。『南総里見八犬伝』とならぶ馬琴の代表作と言われ、当時は人気を博したそうです。
 物語は、『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝と琉球王朝開闢の秘史を描いた勧善懲悪の伝奇物語です。  (弓張月の由来には、関係なさそうですね。(;^ω^)ノ)


「・・・苫小牧発 仙台行きフェリー あのじいさんと
 きたら わざわざ見送ってくれたよ・・・♪」
 
 

category: お月さま

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遠回りして~5  

 震災ダムに、一度は沈んだ木籠集落の家を観に来ました。テレビのニュース番組等で、見ていた方も多いのではないでしょうか。現在は河道の閉塞工事で水位が下がり、水にこそ浸かっていませんが土砂に埋まった姿は、震災当時のままです。

『木籠(こごも)橋の上から』修復中の家は、記念館にするような話を聞きました。
木籠橋から
『震災当時は新築の家』修復中と言っても周りの土砂を片付けたばかりですね。
水と土砂に埋もれた家

『家の残骸と軽自動車』家は倒れ伏し車は跳ね上げられて、現在に至っているようです。
家の残骸と車

『秋草に埋もれそうな家』遠目には、被害を受けたようにも見えないが。
草に埋もれそうな家
『一階が水に浸かった跡がある』屋根はへし折れ、屋内にまで雑草が入り込む。
i一度沈んだ家
『山里の長閑な風景にも』角度を変えて見れば、頑丈な雪国の家ですね。
山里の家

『崩れた山肌』数え切れないほど山肌を露出させた跡が在ります。
崩壊地
『色付き始めた山』秋も深まりつつありますね。

色付き始めた山
『紅葉も始まる』美しい季節です。
紅葉も始まる

 家の壊れた跡など、あまり見たくも無かったことと思います。ただ、中越大震災で最も被害を受けた山間地の山古志を語るには、避けて通れないところです。


  
 





category: 未分類

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今夜も夕月  

『今夜も夕月(月齢5.1)撮影17:21』昨夜よりチョッピリ太ったお月さまです(^◇^)
      空はまだ明るさを残していましたが、月がとってもきれいでしたから撮影してみました。

夕月


 「たとえば僕が まちがっていても 
         正直だった 悲しさがあるから・・・流れてく♪」
  
 

category: お月さま

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夕月  

【月齢4.1 夕月】《撮影・19時06分》久しぶりだね~月見るなんて~~♪
お月さま
 
 秋は人恋しい季節、月なんか見ていると尚更ですね。
 

category: お月さま

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遠回りして~4  

 山古志の入り口で、早速現れた小さな震災ダムや震災ダムからの排水路を見た後に、先へと進むことにしました。ススキの白い穂を揺らして、山肌を下りてくる風か汗ばんだ身体に心地良く感じます。

『駐車した山古志の入り口まで戻って来ました。』この先の丁字路を右に進みます。
先に進みます

『木籠集落を埋めた震災ダム湖』湖を見下ろす位置に、再建された木籠集落が見えます。
震災ダム湖

『震災ダム湖に架けられた新宇加地橋』小屋の右下へと排水路の水が落ちて行きます。
震災ダム湖2

『崩れた山肌を埋めるススキの穂が光る』復旧工事の継続であろう工事車両が見えます。
ススキが光る

『さて、どちらへ行こうかな』新宇加地橋を渡ると、丁字路になります。おや、安倍さん。
どちらへ行こうか

 さてこの後、丁字路をどちらへ向かったかは次回のお楽しみです。案内板には、←木籠 →中山隧道とありました。少しだけ中山隧道に触れますと、昭和8年に開削24年に開通した、当時922mの手掘りの隧道です。
 今日から写真サイズを大きくしてみましたが、いかがでしたでしょうか。


category: 風 景

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遠回りして~3  

 ウィンドウズ10をインストールして、慣れないで設定に四苦八苦していました。今日中に、このブログにさへ辿り着けないかと焦りました。
 何とか成ったのか成らないのか判断しかねますが、ここまでは来られました。ボヤキ話をしてもしょうがないので、「遠回りして~2」の続きを始めます。


『これより山古志』小千谷市の十二平を経て、ようやく長岡市(山古志)へ入ります。良いお天気です。
これより山古志

『管理界』長岡市と小千谷市では、県のお役所の管轄が違うようです。
管理界

『震災ダムからの排水路』この芋川の上流には、震災で埋まった木籠(こごも)集落があります。
震災ダムからの排水路

『排水路下の小規模な震災ダム』水に浸かって立ち枯れた木々に、時の流れを感じさせられます。
排水路下の震災ダム

『ススキが光る』この付近には、廃校になった東竹沢小学校が在ったはずですが跡地さえ確認できません。
ススキ

 随分と久しぶりに、この付近を通ってみました。廃校になった東竹沢小学校がポツンと建つだけで、校区の集落が一軒も見えなかった様に記憶しています。
 現在も工事車両がこの付近を出入りしていましたから、復旧工事が全て終わった分けでは無さそうでした。

  
 


category: 風 景

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遠回りして~2  

 今日は、爽やかな秋風の吹く中で、ゴルフプレーを楽しんできました。スコアはさんざんでしたが、気分爽快な一日でした。
 いやゴルフの話ではありませんでした。山古志をドライブした「遠回りして」の続きです。
 今回は山古志を源にして、魚野川に注ぐ芋川沿いの道の途中です。芋川と言うと平成16年の中越大震災で、山古志地内に土砂崩れが起き震災ダムが出来た川です。覚えておられる方も多いのではないでしょうか。


『芋川に架けられた橋から』寂しい山中に、ススキの原が広がっています。
竜光橋

『土石流の監視装置』震災ダムの決壊が危ぶまれたときに、設置されたものと思われます。
土石流監視装置

『水車が回る』水しぶきを上げて、電動水車が動いていました。一体なんのためでしょう?
水車が回る

『錦鯉の池で水車が回る』水しぶきで酸素不足にならないようにしているのかな。
水車が回る2
水車が回る3
                   水車が回る4
 魚沼市の旧堀之内町竜光地区の山奥で見た風景でした。橋の傍の野池からしばらく行くと、峠越えで小千谷市の十二平に至ります。そこからは、芋川上流の山古志に出来た震災ダムは近いです。現在は、決壊しないように工事が施されています。 (震災ダム等の記録写真はこちらにあります)

 
  【泣いているようなヴァイオリンの音色が心に響きます】
 

category: 風 景

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遠回りして  

 体育の日の良いお天気から一転、本日は冷たい雨が降っています。前回紹介した八重咲の秋明菊が、雨に濡れながらも辺りを明るくしています。
雨の中の秋明菊

 一週間ほど前、こんなエントリをした後、午後から長岡市へ用事に行って来ました。国道17号線を行けば50分くらいで行ける所へ山道回りで、道草をしながら1時間30分のドライブを楽しみました。

『道端のススキ』枯れ尾花になる前のススキが、白い穂を風になびかせていました。
ススキ

『ススキの山』山の上まで続くススキの斜面は、かって耕作地だったように見えました。
ススキの山

『集落遠望(棚田と杉の林)明るくて、暖かくて、微睡みたくなる風景でした。
集落と棚田

『集落遠望(杉の林に囲まれた家々)南に開けた山の斜面の上の集落です。
集落遠望

『集落遠望(明るい陽射しの家々)日当たりが良く健康に良さそうな家々です。
集落遠望2

『錦鯉の池』稲刈りの済んだ田圃と錦鯉の池の谷の向こうに、山古志の学校が見えます。
錦鯉の池

『スキー場の山』古志高原スキー場の山は、ブナが幾分色付き始めていました。
スキー場の山

 中越地震で大変な被害があった旧山古志村は、現在は長岡市に編入されて、長岡市山古志地区となりま
した。その当時の長島村長は、現在衆議院議員として目配りの優しい活動をなさっておられます。
 古志または越と言う名称は、北陸道一円を指していた時代もありました。越後国古志郡となっても広い
地域を含んでいました。
 それが長岡市が市制を敷き栃尾市が市制を敷くと、山間に点在する二十村と呼ばれた村々が、一郡一村
の古志郡山古志村となりました。(現在の長岡市は、かっての古志郡より広い行政区域となっています)

  

category: 風 景

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秋明菊咲く秋晴れの日  

 今日は、体育の日に相応しい秋晴れの良いお天気です。 昨日の冷たい雨が降る暗い空模様が嘘のようです。暖かな日差しの下で、庭で咲いている秋明菊が生きいきとしています。

『八重咲の秋明菊』秋明菊はアネモネの仲間で、英語ではジャパニーズ・アネモネです。
秋明菊八重
秋明菊八重1
                   秋明菊八重3

『白い花の秋明菊』茶花としても飾られる秋明菊です。
秋明菊白
秋明菊(白)

『ピンクの花の秋明菊』園芸品種も多いですね。
秋明菊(ピンク)
秋明菊ピンク

 秋明菊は、本州、四国、九州の暖地の野山に自生して、毎年花を咲かせる宿根草です。日本原産ではなく、古い時代に中国からやってきて、野生化したものと言われています。 (ヤサシイエンゲイから) 
 魚沼では、庭先で咲かせているのをよく見かけます。



  

category: 植物の記

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豹紋蝶(ヒョウモンチョウ)がやって来た  

 ヒョウモンチョウがやって来た。と言う表題ですがヒョウモンチョウ族には沢山の種類が有って、それぞれの種まで見分けるほどの能力を持ちません。此処ではヒョウモンチョウとしておきますが分類に興味のある方は、こちらで見比べてください。 (此方でも詳しいです)

『ヒョウモンチョウがやって来た』花から花へとひらひらと。
ヒョウモンチョウがやって来た
 小さな写真5枚は、サムネイルです。
ヒョウモンチョウがやって来た2
                   ヒョウモンチョウがやって来た3
ヒョウモンチョウ
                   ヒョウモンチョウがやって来た4
ヒョウモンチョウがやって来た5
 ヒョウモンチョウが蜜を吸っているのは、ランタナ七変化の花です。
蜜を吸うヒョウモンチョウ
 良く見たら小さな蝶ちょも居ました。これはなんて蝶ちょかな~?
これは何だ
 豹紋蝶(ヒョウモンチョウ)族は、チョウ目タテハチョウ科ドクチョウ亜科内の一つの分類単位だそうです。ヒョウモンチョウ族に分類される蝶は、和名の通り黄色の地に黒い斑点が並んだヒョウ柄模様の翅を持つものが殆んどだそうです。と言うことは、そうで無いのも居るのかな??
                   (こちらのウィキ大先生を見れば判るかもしれません。)

 
 

category: 生き物の記

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カラスザンショウの実  

 雑木林のカラスザンショウの花(7月12日)
カラスザンショウの花
 月岡公園で秋に咲いていた百合の花を見た後、公園外の雑木林でカラ
スザンショウの実を見て来ました。
(10月2日)
 
カラスザンショウの実
 烏山椒(カラスザンショウ)は、ミカン科サンショウ属の落葉高木です。
 日本では、本州、四国、九州、沖縄、小笠原に分布し、フィリピン、
台湾、中国、朝鮮半島南部などにも分布しているそうです。

カラスザンショウの実2
         カラスザンショウの実3
                  カラスザンショウの実4
 同属のイヌザンショウと同じく、あまり役に立たない木なのでカラス
ザンショウの名が付いたようです。実を、カラスが好んで食べるからと
言う説もあります。
 忘れる所でしたがミカン科の樹木らしく、葉をアゲハチョウ科の蝶が食草にしています。

カラスザンショウの実5
 カラスザンショウの材を、山桐と呼び下駄の材料にしたことも有るよ
うです。桐下駄でさえあまり需要が無くなっては、材としての価値も無
くなったのでしょうか。
 そう言えば山椒の木の代わりに、擂粉木を作ることも有るようです。



           

category: 植物の記

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沢蓋木(サワフタギ)  

 山道を歩いていると、息を飲むほど鮮やかな色彩に出会うことが有り
ます。秋の山では、サワフタギの実もその一つです。
 サワフタギはハイノキ科ハイノキ属の落葉低木で、別名に「瑠璃実の牛殺し」「牛の鼻木」などがあります。昔は牛の鼻に、この木を通して引いていたのでしょうか。

『瑠璃色のサワフタギの実』葉や小枝にはアルミ成分を含んでいて、
                    古くから紫草染めや茜草染めなどに用いられてきました。
サワフタギの実
 分布は、北海道、本州、四国、九州から朝鮮半島、中国東北部。
サワフタギの実2

『サワフタギの花』5月から6月のころ白い花を咲かせています。
                          国道17号線の三国峠近辺でも見かけます。
サワフタギの花

 サワフタギは、漢字で沢蓋木と書きます。この木は良く枝分かれして広がり、沢に蓋をするように繁るところから名前が付いたようです。
山地の沢や湿地など湿り気のある所に自生しています。



 

category: 植物の記

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ヒキオコシの花  

 毎年秋になると、山道の傍らでヒキオコシが咲いています。変った名前ですが、名前の由来は後ほど紹介いたしましょう。
 ヒキオコシは、シソ科ヤマハッカ属の多年草で本州、四国、九州に分布しています。山の少しジメジメとした草叢に自生して、秋に紫色の唇のような形の花を咲かせます。茎の断面は四角形で、草丈は50センチくらいから1メートルを超す程になります。
 近畿地方以北の日本海側から北海道に分布する同属のクロバナヒキオコシは、深山の林縁の草地に自生しています。今回の花もそうかなと思いましたが咲いていたのは、深山と言うほどの所ではありません。そもそも魚沼が山深い所だと言われると、見分ける術を持ちません。

 
『紫色のヒキオコシの花』ヒキオコシは薬用植物です。
ヒキオコシの花
ヒキオコシの花2
『ヒキオコシの群落』食欲不振、腹痛、ガン一般、健胃に効能あり。
ヒキオコシの群落
ヒキオコシの群落2
ヒキオコシの群落3

【ヒキオコシは、別名延命草とも言います】
 その名前の由来は、弘法大師が山道を歩いていると、一人の行者が倒れていました。 弘法大師は近くにある野草のしぼり汁を、倒れている行者の口に含ませました。行者はたちどころに元気をとりもどして、また旅を続けることが出来るようになりました。
 行者を助けた搾り汁の草は「病人をひき起こす」という意味でヒキオコシ、「命を延べさせた」という意味で延命草の名が付いたと言う事です。

                         (薬用植物としてのヒキオコシは、こちらから)


 

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魚沼市の月岡公園にて~その2  

 前回は、「おや、この百合はなんでしょう」で続きとしました。あの百合の花を、夏に咲いていた写真と思われた方も多かったのではないでしょうか。それが違うんです。あれは、今現在咲いていた百合なのです。
 この公園で秋咲かせた百合を見たのは、今回が初めてでした。


公園の芝生は緑、薄の穂は秋風に揺れている。
                そんな風景の中で百合が咲いている。
 
公園の百合の花
 遠く霞む権現堂山は、標高千メートルにも満たないが、
            その山頂付近は紅葉が始まっているであろう。

百合の花畑
 この間の爆弾低気圧の風にも吹き倒されずに、
                秋の陽を受けて艶やかに咲いている。

百合の花
 冷涼な気候が深まる中、まだ蕾が多く付く百合は、
             10月の末頃まで咲いているかも知れない。

百合の花2
 平日のせいでもあるが、訪れて花を愛でる人は誰もいない。
   ただ秋晴れの空の下で、季節違いの花が咲いているだけであった。
 
秋の百合畑

 この公園の百合を、観に来る観光客はほとんど居ません。季節違いの百合が咲いている事を、知っている方も多くはないと思います。百合の産地ならではの贅沢な花畑です。

 

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魚沼市の月岡公園にて~その1  

 夏に、色とりどりの花が咲いていた(←クリックして見てください)月岡公園の百合畑です。球根は掘り採られて、きれいに耕されてありました。秋がもっと深まると、来年咲かせる球根を植え付けるのでしょう。
夏のチューリップ畑

 二段になった百合畑の間の土手には、ゴールデンピラミッドが咲いていました。黄金色の花が、涼やかな風に揺られています。
ゴールデンピラミッド
ゴールデンピラミッド2
ゴールデンピラミッド3

 公園内外に蔓延るススキの穂が、午後の光に銀色に輝やいています。
ススキが光る
ススキが光る2

 おや、この百合はなんでしょう。この続きは次回・・・(^◇^)
チューリップ

「リベルタンゴ」アストル・ピアソラ作曲のタンゴの楽曲。
 

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白い月  

 「お日さまは月の尻見て燃え上がる」と言う訳でも無いのでしょうが。
 今日は秋晴れ、気持ちの良い青空が広がっています。


『青空や東に太陽西に月』9時45分ごろの白いお月さまです。
青空や東に太陽西に月
『だれも見ぬ白い月見る雀の子』森羅万象すべてが珍しい雀の子供です。
だれも見ぬ白い月見る雀の子

 白い月で検索したら、この曲がヒットした。
 
 城南海のオフィシャルサイト←こちらです。興味のある方はどうぞ。 

category: お月さま

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更待月(10月3日0:36)  



 昨夜「奇妙な侍たち」と言う本を読み返しでいて、遅くなったので寝ようとしたら窓の外が明るいのに気が付きました。9月27日の十五夜以来のお月さまが大分昇って来ています。嬉しくなって、カメラを持ち出し撮影をしてみました。

『更待月』10月3日0:36の撮影です。「寝て待ちし二十日の月のはつかにも
                            あひ見る事をいつか忘れん」(新古今集)
更待月

 前掲の「奇妙な侍たち」は、神坂次郎氏の時代小説集です。鯛の寸法計り、風呂桶運び、書物の揺さぶりなどなど。奇妙な仕事に従事して、戦国から江戸の世を生きた無名の侍たちの哀歓を綴ったものです。

category: お月さま

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雨の庭にて  

 爆弾低気圧の影響で日本列島は、大荒れのところが多かったようですが大事無かったでしょうか。

 昨夜は、生暖かい強い風が吹いていましたが真夜中から未明にかけて、強い雨に変りました。雨音の強さに目を覚まして外に出てみたら、大きな藤の鉢植えが転んでいたのに気が付きました。それだけで被害と言うほどの事は、ウチではありません。
 

【雨の庭にて】

『八重の秋明菊』 咲き始めたばかりなのに、雨に濡れて可愛そうです。
雨に濡れた八重の秋明菊
八重の秋明菊
『ピンクの秋明菊』
ピンクの秋明菊
『白い秋明菊』
白い秋明菊
『白い孔雀草の花』
孔雀草(白)
『ピンク色のアサガオ』
ピンクのアサガオ
『ナナカマドの実』
ナナカマドの実
『菜園の茄子』
茄子
『オクラの実』
オクラ
『赤いトマト』
赤いトマトの実
『芽生えたばかりの葉野菜』
芽生えたばかりの葉野菜

 今も雨ですが予報では午後から晴れて来るようです。暗い空を見上げて見ても、晴れて来る兆しも無いようですが。

  


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朝顔 まだ元気です  

 今日から10月、衣替えです。衣替えの習慣は、平安時代の宮中行事から始まりました。
 そうそう神無月でもありました。八百万の神様に願い事が有る方は、出雲まで出かけなくてはなりません。出雲では、神有月ですから。
 ウチの日捲りカレンダーには、毎日の標語が書いてあります。本日は、「終わり良ければすべて良し」とあります。
 終わり良ければ・・・今日の写真は、なかなか終わらないで元気いっぱいなアサガオが主役です。


朝顔
アサガオ
あさがお
朝顔3つ
朝顔6つ
 ハナトラノオは満開を過ぎて、もうすぐ花は終わります。
朝顔と花虎の尾
 長い眠りにつくまでの最後の艶やかさです。
ハナトラノオ

 日捲りカレンダーには他に、国勢調査実施・労働衛生週間・法の日・共同募金・日本酒の日・国際音楽の日・コーヒーの日・省エネルギーの日・そして、旧暦8月19日とあります。神様も新暦でいいのかな?

 

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無才のアルバム ちりつぼ

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