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2016年01月の記事一覧

魚沼三山  

               今日は、こんな曲を選びました。 


 前回のエントリで、車の中から魚沼三山を撮りましたが雲が多かったのを、残念に思いながら車を
走らせていました。小出の近くで山の方に目をやると、山頂付近の雲が動き始めていました。それで
魚野川縁のいつもの撮影ポイントに、良い写真が撮れるかなと思いながら車を回しました。


【魚沼三山】
魚沼三山

 魚沼三山の呼称は、明治38年小島烏水や,高野鷹蔵らと日本山岳会を結成した高頭式(しょく)だと
聞いています。ちなみに、式は本名です。字(あざな)は義明、通称は仁兵衛と言いました。新潟県
三島郡深沢村(現長岡市)の江戸時代から続く地主の家で、明治10年5月20日に生まれています。
 志賀重昂の「日本風景論」に感銘を受け、明治31年に富士山に登っています。その他にも槍ヶ岳、
木曽御嶽、平ヶ岳の初登頂など、明治の登山黎明期に多くの登山を行っています。日本初の山岳辞典
「日本山嶽志(明治39年)」の著者でもあります。その他にも「日本太陽暦年表」や「御国の咄し」
などの著書があります。
 昭和33年4月6日に、高頭式は81歳で死去されました。辞世は『三山を土産に持ちて死出の旅』で
あったと、深田久弥が自著「日本百名山」の魚沼駒ヶ岳の章で書いています。

  

  

category: 1枚の写真から

R17 ドライブ日和~雪山を眺めながら  

       帰りのドライブは、この曲を聴きながらでした。 

 1月26日のドライブは、まだ続いています。出掛けたのですから帰らないとね。行には、ビショビショだったり雪が残っていた道も、帰りには大分乾いていました。天気が良かったので、越後山脈の白い屏風のような山々がきれいに見えました。

 小千谷市と長岡市川口の境付近から見えた白い山々です。
R17 帰り道~1
 長岡市川口の牛ケ島付近です。
R17 帰り道~2
 川口の街へと長い坂を下ります。
R17 帰り道~3
 坂道を半分ほど下った所で見えた八海山です。
R17 帰り道~4
 坂道を下りきる手前で見えた魚沼三山です。
R17 帰り道~5
 左は、川口の街。右は、信濃川と魚野川が出合う所の堤防です。
R17 帰り道~6

 写真は此処までです。後は、スタコラサッサと家に帰りました。ドライブ日和終了です。

category: 降雪の記

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雪道 ドライブ日和  

幕末維新の頃の若者を歌っています。車の中で聴いていました。 

 平年の冬なら魚沼市から長岡へ向かうと、道脇の雪がだんだんと低くなります。今年は逆で、長岡に近づくに連れ雪が深くなります。里雪型の雪の降り方ですが、これほど極端な年も珍しいと言うか記憶にありません。

 高梨の交差点でR17と分かれて、長岡市岩野の辺りまで来ました。以前紹介した吹雪の道です。
雪道のドライブ~1
 しばらくの間、前を行くトラックにモデルになってもらいましょう。圧雪の道になります。
雪道のドライブ~2
 緩み始めた圧雪の道は、ガタガタと走りにくいです。対向車があったりで、写真が撮れてまいせん。 
雪道のドライブ~3
 圧雪の道を抜けると住宅街になります。 
雪道のドライブ~4
 雪で道幅が狭まったカーブは、センターラインオーバーに、特に注意です。 
雪道のドライブ~5
 立派な門構えのお屋敷も雪がいっぱいです。
雪道のドライブ~6
 もうすぐ岩塚製菓の中沢工場が見えて来ます。欅の大木の方面です。
雪道のドライブ~7

 この先は、道が混んで来たので撮影は中止しました。帰り道では、魚沼三山がきれいに見えた所で撮影しましたが次回にします。     撮影・1月26日

category: 降雪の記

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R17 ドライブ日和 1/26  

 本日のエントリーは、写真15枚です。訪ね来たる人たちは、途中で放り出すことなく全てを観て、呆れて、お帰りの程をお願いいたします。

 R252、十日町市方面への品袋の交差点が近づいてきました。
R17~1
 交差点を通り過ぎました。
R17~2
 堀之内和長島の辺りでしょうか。 
R17~3
 北堀之内を走っています。右側にクレープや大判焼きの店が見えて来ました。
R17~4
 右側の赤い屋根は魚野川ドライブイン。正面の穴は、上越線のトンネルです。
R17~5
 右下は魚野川、和南津トンネルを抜けると長岡市川口です。 
R17~6
 和南津トンネルを抜け魚野川の橋を渡りました。関越道のトンネルが見えます。 
R17~7
 画面を横切るのは、関越道の高架です。右にトンネルがあります。
R17~8
 川口の街に入るところです。飯山線の高架が見えています。
R17~9
 牛ケ島の交差点です。左に曲がれば以前紹介した牛ケ島集落へ行きます。
R17~10
 小千谷トンネルが見えて来ました。
R17~11
 トンネルに入ります。
R17~12
 トンネルを抜けました。
R17~13
 小千谷大橋を渡っています。
R17~14
 小千谷市三仏生の交差点です。ショッピングセンター・ベーシアの駐車場も雪がいっぱいです。
R17~15

 この先の越之大橋手前の高梨の交差点で、R17とお別れですが写真が撮れていません。感で写真を撮っているのでしょうが有りません。これより先は、また今度にします。
 最期まで観て頂いて、お疲れさまでした。  地図は此方から見られます。


category: 降雪の記

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居待月  

 1月27日(旧暦12月18日)23時35分に、窓から空を見上げたら月が出ていたので撮ってみる。雲の中を、出たり入ったりと忙しいお月さまであった。雲の切れ間から星も見えたが名前は判らない。 

【月齢17.1 居待月月出=20:31 正中=28日2:11 月没28日9:13
1月21日の月

 雲のやつ仕舞い忘れて月と星    
月・星・雲

 寒空や明夜の月は寝待ち月 待ちくたびれて寝てしまうかも (^◇^)ノ

category: 未分類

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雪道  

 1月25~26日の寒波は、関西、九州方面に雪を降らせただけでなく奄美大島で、明治34年以来、115年ぶりとなる雪が観測されました。普段、雪があまり降らない地方の方々は、さぞかし驚かれたことと思います。
 雪の本場と言うか、豪雪の地と言われる新潟県魚沼市では、雪は降りましたが豪雪と言うほどの雪にはなりませんでした。除雪体制もしっかりしているので、ほぼ普段と変わらず生活できました。
 魚沼市から40kmほど離れた新潟県の中央部に位置する長岡市では、道路除雪が間に合わす国道8号線で25kmの渋滞が発生したり、市内各所の道路でも渋滞するなど大雪が降りました。
 運悪くと言うか、その2日間とも長岡市に用事があって出掛けました。国道17号線は順調でした。途中からの裏道も順調で長岡市内に入るまでは、渋滞に遭わずに済んだのでしたが・・・


『圧雪の道1/25長岡市古正寺付近の渋滞。この先大手大橋を渡り、さらに行くと長岡駅です。
圧雪の道

【長岡市内までの道】
『細い道』細く狭い道でも舗装路が出ているだけで安心します。
細い道
『雪の残る道』車線を外さない運転をすると交差点に雪が残ります。
雪の残る道
『吹雪の道』風を遮るものが無い道は、もう少しでホワイトアウトになるところでした。
吹雪の道
『消雪の道』住宅街の消雪パイプの道は、運転は楽ですが雪陰の人に気を付けないと
消雪の道

 1992年 作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄 YouTubeでも聴いてください。
 

category: 降雪の記

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定点撮影  

                   

 定点撮影は大げさですが、同じ所から撮った写真です。

『弱い雪』冷で善し雪見の酒は八海山  なんて思っていると・・・
弱い雪

『強い雪』燗酒が回りもしない雪まろげ  なんてほど雪が降って来る。
強い雪

『朝日さす今朝の八海雪の山』最低気温1℃・最高気温5℃・曇り時々晴れの予報。でも快晴!
晴れた朝

 昨日の雪と、お日様が出て来た今朝の様子でした。予報はともかく雲一つない、いや薄雲くらいはありますが快晴です。朝の内は、道路が凍結していましたがもう大丈夫です。

category: 降雪の記

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寒波到来  

                    
 昨夜は、それほど大荒れな天候だとも思っていませんでしたが、朝起きたら結構雪が積もっていました。夜半過ぎてから吹き降りになったようです。寝ぼけ眼で、この冬初めて、いっぱい雪かきをさせられました。
 今日の予報は、雪で風雪強し。最低気温-2℃・最高気温2℃と出ています。


『わが家の庭』雪が昨日の倍に、もっとも例年ならとっくに雪囲いは雪の下です。
庭の雪

『雪の塔』風で吹き付けられた雪が樹木の雪囲いを包んでしまった。
雪の塔

『縞になって残る雪』フル稼働した消雪パイプも吹雪いてくる雪を溶かしきれません。
消雪パイプ

 明日は晴れの予報です。雪荒れした後の晴れを、雪晴れと言います。
                        明日は雪晴れにな~~れ(^◇^)ノ

category: 降雪の記

行きはよいよい  

                              

 スマホから写真を転送出来たので、古新聞ですが1月17日~18日に、関東で大雪に遭遇した時のスナップです。と言っても、越後へ逃げ帰るのに一生懸命で大した写真は有りません。

『赤城高原SA 1/17・7:27』日の出
赤城高原SA

『高速道路から 1/18・9:37』関東大雪
高速道路からの雪景色

『谷川岳SA 1/18・11:23』最後の休憩
谷川岳SA

【付 録】
『わが家の庭 1/19・8:41』雪は何処へ
19日の自宅の庭

『わが家の庭 1/24・10:40』予報は暴風雪、最低気温-1℃最高気温2℃。
今日の雪 

category: 降雪の記

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昨日の雪 道路から  

『小千谷市三仏生近辺13:15』国道17号線の雪景色です。
1月22日 小千谷市三仏生

『長岡市越路 岩野近辺13:25』この辺で海抜34mです。また雪が降って来た。
長岡市越路地区岩野

 昨日の午後、雪の降る中を、長岡市に用事があって出かけて来ました。その折に、思い立って撮った写真です。フロントガラス越しに、道路の雪の様子を撮りました。

category: 降雪の記

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雪が降ったり吹雪いたり  

                     

 今日は、時々吹雪いています。
吹雪
 この冬初めての吹雪に、魚沼の雪雀も戸惑っているようです。
1羽
 雀は小さな身体を丸めて、吹雪いてくる雪に耐えています。
二羽
 ようやく辛い季節が訪れて来たようです。
4羽

 積雪は、まだそれ程ではありませんが時々吹雪いています。最低気温-1℃、最高気温3℃程度の予報ですから、それほどの寒さではありません。それでも吹雪くと寒さが身に沁みます。

category: 降雪の記

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雪の魚沼  

 今日1月21日は、旧暦だと12月12日です。大寒、初大師、みずのえとら、三碧、大安と暦にありま
した。大寒は、冬至から30.44日後で、立春前日までです。1年の内で寒さが最も厳しくなるころです。
なるほど小雪の魚沼に、雪が降って来ました。

1月21日の雪
 大寒や雀は遊び雪も降る
雪の中の雀
 あら雪が止んじゃった。いや、今日は降ったり止んだりです。
樹上の雀

 初大師は、その年最初の弘法大師の縁日で1月21日です。初弘法とも言います。高野山を始め各地の
真言寺院に、善男善女がお参りをしていることでしょう。
 壬寅(みずのえとら、じんいん)は、干支の組み合わせの39番目で、前は辛丑、次は癸卯である。と
wikiにありました。それがなにか?と言う話です。
 三碧は、三碧木星 (さんぺきもくせい)のことで、暦や占いに用いられる九星の一つです。後天定位盤
において東に位置します。
 大安は、元々は「泰安」でしたが現在は「大安」となりました。「大いに安し」と言われ、物事をす
るのに吉の日と考えられています。六曜は大安を含めて、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口という
6つの曜から成り立っています。
 
 日めくりを見ているうちに、暦の話になってしまいました。詳しい分けではありませんから、間違い
があるかもね。
 


 

category: 降雪の記

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魚沼三山  

『雪の魚沼三山』三山の麓の雪は少なくて 他郷の雪を前景に借る  (本来は此方が雪が少ないのです)
魚沼三山
 深田久弥氏が、その著書日本百名山の魚沼駒ヶ岳の章で、魚沼三山と呼んでいる連山です。越後山脈
中の特徴的な連山だから、越後三山とも呼び、地図や山岳案内でもそう記載しているものが多くなりま
した。


「日本人はたいてい故郷の山を持っている。・・・」深田氏が日本百名山の中で語っている言葉です。
                               全文は、此方で読んでください。

category: 風 景

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八海山と今朝の雪  

 昨日は、大雪の関東地方から小雪の魚沼へ脱出して来ました。大雪の様子は、スマホで撮ったんで
すがパソコンへの取り込み方が判らないと言う為体です。

 新潟県魚沼地方と言えば古くは、鎌倉時代の後期上野を本拠とする新田氏の勢力下にありました。
山からの細流が多く草の生い茂る魚沼地方は、当時の農業技術で開田するのが容易であったのでしょ
う。それに生い茂る草は、1年に何回も刈りとり牛馬の飼料や堆肥にしたりと貴重なものでした。そ
の源となる水は、冬になると魚沼の野山を厚く覆う雪なのです。


『今朝の八海山』岩肌を覆う雪がまた少なくなりました。
1月19日の八海山
『庭の雪僅かしか雪が残っていません。今日も今のところ天気が良いです。
1月19日の庭
『菜園の雪』まだ日影の畑も雪は僅かです。
1月19日の畑

『1月13日の八海山』長岡市越路の或る場所での撮影です。
1月13日の八海山

 いつもの年なら降っても2月以降の関東地方に、1月に大変な大雪が降る。そして豪雪の魚沼は小雪。
偶には逆転現象も良いのかな。ただ平穏無事な1年とは言い難い年になりそうな悪寒がしてきました。
 

category: 風 景

魚沼三山 中岳  

 昨日、今日と関東地方のとある町に出かけていました。雪が降るらしいとテレビのニュースで見てい
たが、薄っすらと白くなる程度だろうと思っていました。0時過ぎにホテルの窓から夜空を見ていた時
は、雪が降る気配も感じませんでした。ところが朝5時に目覚め窓の外を見ると、まだ暗い空から白い
雪が降っていました。
 7時に朝食を食べた後で露天の駐車場に行ってみると、車の屋根の上には30㎝も雪が積もっていまし
た。車の雪かきをした後で、今日の予定を全てキャンセルして帰ることにしました。

 関東の雪景色は、カメラを持って行かなかったので残念ながらありません。


『魚沼三山 中ノ岳』長岡市越路で、1月13日14時33分に撮影しました。
魚沼三山 中岳

  雪で立ち往生した車に道を塞がれたり、危なっかしい運転の車にヒヤリとさせられながら、悪戦
苦闘の帰宅となりました。幸い新潟方面への高速道路は、閉鎖していないて助かりました。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」と小説の舞台になった湯沢町は、雪は積もっていな
いで小雪でした。わが家に帰り付くと雨で、午前中少し降ったらしい雪は、ほとんど溶けていました。

category: 風 景

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雪の降る前、降った後  

 今年の雪は、信濃川で言うと河口域の新潟市の方が降っています。中流域の長岡市も、例年より少
ないですが積もっています。豪雪地の魚野川流域は、雪が少ないというか、今のところ感覚的には無
いようなものです。
 大陸からの寒気の吹き出しが弱いので、内陸部まで届かないのだと思います。それでも越後山脈の
ような衝立の山々は、お天気の良い日は、真っ白に輝いて見えます。
 今日のタイトルは、雪が降る前、降った後です。信濃川と長岡市川口地区の牛ケ島集落の二通りの
様子を、ご覧頂きたいと思います。だいたい同じ所から撮っています。


『信濃川と牛ケ島集落12月24日』
信濃川と牛ケ島集落
『信濃川と牛ケ島集落雪景色1月13日』
雪の信濃川と牛ケ島集落

『牛ケ島集落12月24日』
牛ケ島集落
『牛ケ島集落雪景色1月13日』
雪の牛ケ島集落

『蛇行する信濃川12月24日』
信濃川
『蛇行する信濃川1月13日』
雪の信濃川

 牛ケ島集落と言うのは、旧北魚沼郡川口町(現在は長岡市)の集落で、名前の通り昔は信濃川の島
のような中州だったのでしょうが現在は、信濃川に突き出た半島のような地形をしています。(こち
らで写真を見られます
。)航空写真には、右下に信濃川と魚野川の合流地点、それから牛ケ島のでっ
ぱりで蛇行する川の様子を見られます。ブログの写真は、信濃川左岸から撮影しました。航空写真の
どの辺りで撮影したのか、賢明な読者ならすぐ判ると思います。(^◇^)ノ

 写真を並べていて、あれと思ったんですが前文に書いた衝立のような雪の越後山脈の写真が無かっ
たですね。言っていることと違うと言われないように、最後に越後山脈の雄峰、魚沼駒ヶ岳の写真を
載せておきます。(後の都合がありますから、魚沼三山の写真は載せません。)写真は、ここからで
は無く長岡市の越路地区から撮影したものです。


『魚沼駒ヶ岳』手前の田圃の雪が魚沼市小出より多いのが何とも不思議な感覚です。(;^ω^)ノ
長岡市越路地区からの魚沼駒ヶ岳

category: 風 景

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小正月の月  

 昨夜18時過ぎに、久しぶりに月を撮影しました。撮影後に、用事があって車で外出したのですが、
帰りには月も星も全て雲に隠されていました。後回しにしたら小正月の夜空に懸かった月を、撮影す
ることが出来ないところでした。


『月齢5.1 夕月 撮影18時12分』この時は、すっきりと晴れた良い夜空でした。
小正月の月
「月の上部を切り取ってみる。クレーターが、あまり写っていませんね。」
小正月の月(上部)
「月の下部を切り取ってみる。こちらは、クレーターが沢山確認出来ますね。」
小正月の月(下部)

 1月15日の小正月は、かつて元服の儀を行った日でしたから、それにちなんで成人の日という国民
の祝日でした。この日までが松の内で、玄関に門松を飾っていました。
 今年の豊作を願った塞ノ神の行事もありました。そう言えば大きな男根を雪で模り、その周りに細
い木を立て、藁で囲い正月の松飾を中に積んで、豊作を祈ってお祓いをした後、火を付けて、天の神
に届けとばかりに、盛大に燃やしたものでした。それらも、今は昔となりました。

                                        (今でも続けている所も有りますが)

category: お月さま

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山と川の雪景色  

 今日も雪の予報でしたが積もるほど降りません。最高気温2℃、最低気温-1℃では、本格的な
降雪は望めませんね。別に、雪が降るのを期待している分けではありませんが、なんだか落ち着か
ない小正月です。

  
『未丈ヶ岳と信濃川』信濃川と魚野川が合流した少し下流の風景です。橋は牛ケ島橋かな。
             未丈ヶ岳の手前の丘には、ホテルや温泉施設が写っています。丘の下
             辺りに、旧三国街道川口宿があります。写真には写っていません。

未丈ヶ岳と信濃川の橋

『段丘の上に見えた魚沼駒ヶ岳』関越高速川口IC辺りからは、魚沼三山が良く見えます。
魚沼駒ヶ岳

 汚れ始めた雪が、久しぶりに降った雪に覆われて、白い輝きを取り戻した風景です。
                                           撮影は1月13日正午過ぎでした。 

category: 風 景

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今朝の雪・昨日の朝  

 昨日の朝は、雪が少し積っていたけれど良いお天気になりました。今朝は雪です。止まずに降って
いますが、積もるような雪ではありません。霙に近い、水分が多い水雪と呼んでいる雪です。


『水雪が降る』傘が重くなる嫌な雪です。
今朝の雪

『庭の雪』昨年は2m以上、今年は2㎝以上の雪です。
今朝の雪2

『水雪なんか気にしない』雀は何にも気にしていません。
今朝の雪3

『昨日の雪』お昼ごろまでに、電線や枝の雪は無くなりました。
昨日の雪

『枝の雪が朝日に輝く』寒い朝は、ことのほかきれいです。
昨日の雪2

『ああ、もう溶けてしまう』日が当たって溶け始めると雪は重みで落ちます。
昨日の雪3

 お正月に雪が無かったことは、何回か経験があります。しかし今年ほど雪が何時までも積もらない
年は、初めて経験しています。暖房や屋根雪の消雪に、費用が掛からないので助かります。でも道路
除雪で働く人たちは待機が多く、お金になりませんしスキー場も商売になりません。暖房や消雪に使
用する灯油も売れません。雪国では、雪が降らないとお金が回らなくなります。矛盾してますね。

category: 降雪の記

柿の赤い実・雪まみれ  

 今朝起きたら久しぶりに、フワッとした雪が5㎝くらい積もっていました。昨夜は、遅くなっても雪は降っていなかったから、朝方降ったものだと思います。いえ、今は降っていない。と言うか青空が広がっています。予報では、雪が降ったり止んだりでしたが、雪雲が見当たりません。

『電線に雀がいっぱい留ってた』朝日で日光浴ですかね。
電線に雀がいっぱい留ってた

『今朝の八海山』山の雪もまだまだ浅いですね。
今朝の八海山

 あ、そう言えばタイトルは、「柿の赤い実・雪まみれ」でした。此方の写真は、12月28日の撮影です。この頃は、まだこんな小雪の年になるとは思っていませんでした。

『冬の柿の木・雪まみれ』
冬の柿の木・雪
『冬の柿の木・立ち姿』
冬の柿の木・立ち姿
『冬の柿の木・真っ赤な実』
冬の柿の木・実

 あれ、ブログを書き終える頃になって、少しばかり雲が出て来ました。まだ雪雲では無くて、ふんわりとした白い雲です。このまま晴れれば今朝の雪は、跡形も無く溶けてしまいそうです。さて、どうなりますことやら楽しみ・・・程でも無いですが。

category: 降雪の記

信濃川と魚野川が交わるところ  

『信濃川雪の出合や魚野川』
信濃川と魚野川の出合
 魚野川左岸の段丘が途切れ、写真奥から流れ来る信濃川に合流している。今から一万数千年以上昔
の日本海の海岸線は、この辺りまで入り込んでいたようです。
 この信濃川と魚野川が合流する河岸段丘上には、旧石器時代の遺構が在り荒屋遺跡と名付けられて
います。細石刃や彫刻刀形石器など約10万点の石器が出土して、中でも彫刻刀形石器は、特徴的な形
で荒屋型彫刻刀と名づけられています。 荒屋遺跡の出土品はこちらで見られます。


『雪に埋もれる荒屋遺跡』12月21日の撮影です。その後、雪が積もるほど降りません。
荒屋遺跡
 荒屋遺跡には、目立った表示も何もありません。西川口保育園(だったかな)の方に、遺跡の場所を聞いて、一枚だけ写真を撮りました。

category: 歴史よもやま話

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紫の実  

 冬枯れの紫式部哀れなり
紫の実
 紫の実は、越後刈羽郡(柏崎市)の戦国時代の山城の跡を逍遥していて、見つけたものです。撮影したのは、昨年の12月7日でした。
 本丸跡の冬枯れた風景の中で、まだ残っていた紫の実が、哀しいほど美しく見えました。


 

category: 植物の記

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越後毛利氏・安芸毛利氏発祥の館跡  

 さてさて今回は、いや今回も写真の多い歴史よもやまブログです。
 タイトルにある越後毛利氏については、越後毛利北条氏の居城だった北条城址を巡る旅で何回か紹
介しています。今回紹介する越後刈羽郡(古名は三嶋郡)佐橋荘南条の毛利氏の館跡は、安芸毛利氏
(長州毛利氏)の発祥の地でもあります。
 鎌倉幕府の重鎮であった大江広元の孫、毛利経光が佐橋の荘の地頭として南条館に居たことは、以
前の古城祉散歩で書いています。


『南条館が在った丘』この丘が越後毛利氏、安芸毛利氏発祥の地です。
 宝治合戦で敗れた大江広元の四男毛利季光の四男経光の家系が越後、安芸の毛利氏の祖です。

南条の毛利館跡
 丘の入り口には、佐橋神社とごぼう庵の標柱が門になっていました。ワイドで撮った一枚を、どこ
かへ紛失し変な写真の配置です。神社の名前に佐橋荘の名残を感じます。

佐橋神社入り口  ごぼう庵入り口
 坂道の途中、左手の高台に、佐橋神社が見えて来ました。
左手高台に佐橋神社
 坂を上ると、こんな物がありました。左に曲がって、もう少し上れと言うことのようです。
正面に毛利氏供養塔案内

『毛利氏供養塔』建立された関修さんは、仕事の関係で福島県いわき市に移住されたそうで
す。供養塔の後ろに見える建物は、ごぼう庵です。

毛利氏供養塔
『墓誌』         越後毛利氏系図  安芸毛利氏系図
墓誌
『供養塔建立趣意書』
毛利氏供養塔建立趣意

南条いにしえロード5 佐橋神社
佐橋神社
 土塁跡のような土盛りを、神社の周りで見かけました。
土塁跡?
 空堀の跡でしょうか?現在墓地になっている手前で見かけました。
空堀の跡?

南条いにしえロード7 佐橋神社境内で出土した頭骨を供養した碑
城址殉難者碑

 小出(魚沼市)に去った庵主様がおられたことに、縁を感じさせられました。
南条いにしえロード6

 現在この辺りは、柏崎市になっていますが幕末戊申の役の頃の柏崎は、桑名藩の飛び領地になって
いました。桑名の城は、いち早く西軍に押さえられたので京都所司代だった藩主の松平定敬は、柏崎
で西軍を迎え討ちました。戊辰戦争史で云う柏崎戦争です。攻める西軍の長州藩兵は、この地が藩主
の祖先発祥の地だと知っていたかどうか・・・。

 

category: 歴史よもやま話

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北条 西方寺にて  

『柏崎市北条・西方寺本堂』12月7日の撮影です。雪国ですから冬囲いが施されています。
西方寺2

『学童集団疎開記念碑』西方寺の本堂と庫裏との間に建てられていました。
学童集団疎開記念碑

 昭和19年(1944)6月30日、政府は「学童疎開促進要項」を閣議決定しました。疎開区域の国民学校初等科3年生以上の子供たちを、疎開させることにしたのです。
 疎開区域とは、東京都の区部、横浜市、川崎市、名古屋市、大阪市、尼崎市、神戸市、と現在の北九州市(当時は門司、小倉、戸畑、若松、八幡の各市)でした。


 学童の疎開は、縁故疎開が原則でしたが縁故疎開が出来ない者には、強度の勧奨による集団疎開がありました。いずれにも参加できない者には、必要に応じて集団避難を実施することになりました。それには、疎開や避難する側も受け入れ側も、ともに共同防衛の精神であたることを求められていました。

 疎開とは、軍事用語で分散して闘いをすすめるという意味の言葉です。歩兵操典では疎開戦闘を、小隊や分隊の間隔を開けて敵火力の効果を弱め、味方の突撃力を発揮させる歩兵の主要な戦闘方式と規定していました。
 時の政府は、空襲による被害を避けるための措置として、疎開という軍事用語をあて、戦闘の一環であることを強調したのでしょう。


『西方寺境内散歩』本堂入り口に、落雪よけの冬囲いがしてあります。
西方寺

『歌碑なのか句碑なのかさえ判らぬが 流れるようなその筆の跡』読める方は、内容を教えてください。
歌碑

『本堂の彫刻』本堂の右隅です。冬囲いが無ければもっと見えるのですが。
彫刻
『彫刻2』本堂の中央辺りだったかな。
彫刻2
『彫刻3』本堂の左隅です。
彫刻3

『鐘楼』茅葺屋根が苔むして良い感じでした。
鐘楼

 西芳寺は、真宗大谷派の寺院です。鐘楼の苔むした茅葺屋根に誘われて、立ち寄ってみました。

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米山検校最終回~三羽の鷹  

 信越本線長鳥駅から、車で10分ほどの杉平の能満寺に来ています。
能満寺1
 開山から500年もの歴史があり、現在の本堂が建てられて、300年になるそうです。
能満寺2
 曹洞宗長昌山能満寺の本尊は、秘仏三虚空蔵菩薩です。 住職一世に、一回限りの開帳が許されているそうです。そう言えば、この寺で少年時代の米山検校が学んだ。と言う逸話が残っていました。
能満寺3

 越後の僻村で生まれ、幼くして光を失った少年(米山検校)の子孫(曾孫)の一人に、剣聖と謳われた男谷下総守 信友、通称精一郎が居ます。
 精一郎は、文化2年(1805)8歳で剣術を直心影流12世の団野源之進に学び、文政6年(1824)に、麻布狸穴で道場を開いています。それまでの形稽古から竹刀稽古を奨励し、現在の剣道にも影響を与えています。
 江戸の剣術界で立ち会ったことの無い者は居ない。と言われるほど他流の者とも試合をしました。その試合では、三本のうち一本は必ず相手に打ち込ませて、花を持たせています。門下に、島田虎之助、榊原鍵吉などの幕末の剣豪が居ます。
 精一郎は、体格は小柄でしたが相撲取りの雷電と押し合いをしても負けなかった。と言う逸話を、何かで見た覚えがあります。

 勝左衛門太郎惟寅、通称小吉、隠居名は夢酔。あの勝海舟の父親で米山検校の孫です。前述の男谷精一郎は、甥になります。晩年に、「平子龍先生遺事」「夢酔独言」などの著書があります。
 酒はあまり好まず博打もやらなかったが、吉原遊びを好み、着道楽で、喧嘩を好み、腕っぷしも剣の腕にも優れ、道場破りをして回り、不良旗本と恐れられた。とwikiにもありました。お洒落で、女好きで、喧嘩が好きで強かった。と言うことですね。
 強いと言っても、小吉の強さは半端ではありません。男谷誠一郎は、当時の江戸で力の斎藤・位の桃井・技の千葉と称された三大道場をもってしても歯が立たない。といわれた達人です。その精一郎を、小吉は片手で捻ったそうですから凄まじい強さです。
 新門辰五郎に、「喧嘩で右に出る者は無い」とまで言わせた男だから、その強さは、幕末最強だったのではあるまいか。
 
 勝安房守義邦(明治維新後、改名して安芳)、通称は麟太郎。勝小吉の子で米山検校の曾孫です。その他には、世に知られたことばかりです。
 海舟は、明治になってから曽祖父の米山検校の生家に、問い合わせの手紙を書いたそうです。生家では、伯爵と言う旧大名家にも匹敵する地位を憚って、彼の米山検校とは一切の関係がない。と返事をしたそうです。真偽のほどは判りません。

 さて、これで峠の米山検校御礼塔からの長い旅が終わります。何故か杉平の御礼塔の傍に、苔むして鎮座していた馬頭明王の憤怒の形相が印象に残っています。

石仏
 

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杉平・米山検校の生家を訪ねて  

 米山検校で長々とブログを引っ張っています。最初がセナカ峠に在った岩の入の御礼塔。次が大角間の御礼塔。その次が杉平の御礼塔でした。そろそろ飽きた!と言う声が聞こえるかと思ったら、不思議なことに、見てくれる方が増えました。
 話は変わりますが私の尊敬しているブロガーのinkyoさんone0522さんから、米山検校とは、あの勝海舟の曽祖父!とのコメントを頂きましたが、その通りなんです。
 本来なら、これから始める「米山検校の生家を訪ねて」の中でドラマチックに、その事を紹介したかった(^◇^)のですが、それは適わなくなりました。それはともかくとして、「米山検校」の故郷を取材する中で人の世の不思議さ面白さと言うものを、改めて感じた次第です。


(12月7日に、北条城址の搦手口を登った後に、初めてこの地を訪れて撮影しました)
案内看板
(米山検校の故郷の風景です。雲は流れ行けど山の形は変わりません)12月7日撮影  
米山検校の故郷
(杉平のマップです。この中に在る鳥谷城墓地公園の仏様を、以前紹介しています)12月24日撮影 
柏崎市杉平マップ
(マップの中央付近に在る長鳥工房・検校塾です。)12月24日撮影
検校塾
(勝海舟の祖先の地には、咸臨丸を模したヨットが展示してありました)長島工房隣・12月24日撮影
咸臨丸
(咸臨丸を模したヨットは、杉平100年プロジェクトの一環のようでした)
杉平100年プロジェクト
(杉平の御礼塔へ行く時に、一度通り過ぎた米山検校の生家への入り口です)これより12月12日の撮影。
米山検校生家案内板
(昔のままの道かどうか判りませんが、道奥に生家跡が見えて来ました)
立札が見えた
(御礼塔を巡り終えて、米山検校の生家跡に立つ。感慨深いものがありました)
ここかな
(江戸に出た銀一は、江戸で石坂検校、嶋補検校について鍼道を修得 したと伝えられています)
米山検校生家跡
(生家跡から見た風景は、昔とそれほど変わっていないような気がしました)
生家からの風景
(米山検校は、御家人男谷家(後に旗本)の株を買い男谷検校と成る)
男谷検校系譜図【詳細な系譜図は、こちらをクリック】

 検校の位に成るには、千両の金が必要であったようですから、銀一は利殖の才に長けていたのでしょうね。それが座頭金と呼ばれる高利の金貸しであったのは、間違いないようです。検校になると大名貸しも許されるようになり、70万両もの大金を貸し付けるまでに成ったと云われています。
 米山検校(男谷検校)は、臨終の枕辺に子供たちを呼び全ての貸付証文を焼かせたと云われています。子孫に美田を残さずの心境だったものと思われます。


(これらの話は、人に聞いたり、本で見たり、ネットで調べたりした「歴史よもやま話」です。資料価値を求めてはなりません。無才)

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杉平の米山検校御礼塔  

 米山検校生家跡と書かれた案内表示を左に見送って、三つ目の米山検校御礼塔を先に見に行きました。御礼塔への入り口には、長鳥いにしえロードの案内表示が立ち謂れが記載してありました。

【書き写してみます】
『宝暦の大飢饉で郷土の窮状を知った米山検校は、私財を投げ打って長鳥村の窮民を3カ年もの間救済した。この礼塔は、貧しさの中で必死に残した村人たちの感謝の証である。』
 一カ所()書きを省きました。それは、生家跡で明らかになります。
 

『御礼塔へと至る道』人の足で踏み固められ、木の根が剥き出しになった古い道のようです。
杉平・米山検校御礼塔へ
 苔むした道が尾根伝いに続いています。昔は、長岡へ抜ける道だったかも知れません。
苔むした道

『米山検校の生家の墓地と御礼塔』山道を幾らも登らないうちに着きました。
山上家の墓地と御礼塔
 表示が無ければ、それと判らないほど小さな石塔です。碑面の文字も判読し難いです。
米山検校御礼塔

『石仏』憤怒相の馬頭観音のようにも見えます。御礼塔の近くに安置されていました。
石仏か

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大角間集落に残る御礼塔  

 セナカ峠で岩の入集落の「米山検校御礼塔」を見て、次に、大角間集落に残る御礼塔を見に行きました。峠を越えれば大角間集落へ抜けられたのですが徒歩でしたから、車を止めた岩の入集落まで戻り普通の道を車で行きました。

 長鳥駅を後に、長鳥川沿いの道に出ます。川上へ車を走らせると、大角間の文字が見えました。
大角間へ

 大角間集落の入り口付近に、米山検校御礼塔への立札がありました。昔の人が歩いた旧道沿いに、御礼塔が在るんだろうが大分歩かされるのかなと思いました。
御礼塔案内板

 車を止めた道端の舗装路の補修面に、「平成19年8月建立」の文字が書かれていました。後で聞いた話によると、「中越地震」で崩れた土砂に流された御礼塔を、大角間集落の方が掘り出して、現在の位置へ移したのだそうです。その日付でした。

地震の為移転

 舗装路の補修面に書かれていた、日付の前に石塔が並んでいます。左端が御礼塔、真ん中が筆塚、右端は良く分りません。
 本当は、新しい案内板が立てられていて、車を降りてすぐに判ったのですが、話の都合で長々と引っ張っています。

大角間御礼塔

『米山検校御礼塔』碑面に、宝暦八年 卍米山検校御礼塔 飢人 敬白 寅三月とあります。
御礼塔

 『毛澤塚と彫られた筆塚』            『こちらは資料が無く不明です』     
筆塚   詠めない
 筆塚には、米山検校に仕えた大角間の人が、検校から頂いた品物を、故郷大角間村に帰った晩年、埋めたと云う話を聞きました。他の石塔より大きいのも、それで何となく納得できます。

category: 歴史よもやま話

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正月3日に  

【雀たちは何をしているのでしょう。】
塀の上の雀たち
 ビートルズを聴いていた♪  ほんとかな~
(^^♪


  お正月も3日となりました。お屠蘇気分は今日までで、明日から仕事の方が多いのでしょうね。
奥只見未丈ヶ岳
                                       奥只見・未丈ヶ岳 12月10日撮影

category: 指定なし

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新年おめでとうございます  

 
守門岳
権現堂山
荒沢岳
三山
 初雪のころの風景でした。魚沼駒ヶ岳は「日本100名山」に、中ノ岳と八海山は「日本200名山」
に選定されています。山が好きな方は、ブナの芽吹くころから登られたらいかがでしょう。
 写真は全て、越後ゴルフ倶楽部から撮影しました。このコースは、7200ヤード以上ある丘陵コース
です。腕自慢の方は、一度挑戦してみませんか。かなり手強いですよ。
                      *ゴルフ場の回し者ではありませんが(;^ω^)ノ

 初春や三梅過ごし寝正月(越の寒梅・白梅・雪中梅を、越の三梅と言います)
      雪の少ない正月を迎えて、魚沼の雀ものんびりとしています。

お正月の魚沼雀
    

category: あいさつ

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無才のアルバム ちりつぼ

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