無才の古今往来 ホーム »2016年10月
2016年10月の記事一覧

雪わり街道を目指して~1  

 国道252号線の魚沼市入広瀬地区の大白川から福島県只見町の間が、一里が十里にも感じられた
と云う険しい六十里越の峠道です。今でも六十里越えトンネルを抜けた福島県側の道は、眼下の田子
倉ダム湖に真っ逆さまに落ち込むかと思えるほどの急峻さです。
 初雪が降る頃に、この区間は閉鎖され長い冬を雪に埋もれたままになります。春は早ければ五月ご
ろ、積もった雪と雪崩れ落ちた雪を割って、交通が再開されます。平成18年(2006)11月に、この
区間に六十里越 雪わり街道という愛称が命名されました。


『空模様』国道252号線上空は雲が多く、六十里越雪わり街道の天気が気にかかります。
空模様

『リンゴ園魚沼は、雪が深くて果樹栽培には不向きです。このリンゴは、長野県から嫁いだ方
が栽培していると聞きました。信州リンゴの栽培が盛んな故郷を、偲んでのことでしょうか。

リンゴ園
リンゴ赤いリンゴは、甘くて美味しいフジ子ちゃん。
                               りんご

『欅の黄葉~紅葉』黄色く色付き始めたケヤキもきれいですが、
黄葉
 赤く色付くと秋の深まりを感じさせられます。
紅葉

 わが家を出発して、いくらも経たないうちに一時停車をしてしまいました。空模様が変わり始めた
のと、リンゴの赤い実に魅かれてのことです。雲は多いですが、青空も見えています。
 車窓から見えるケヤキが、黄色から赤へと色づき始めているのを見ながら、雪わり街道の紅葉がき
れいに見えると良いな。とワクワクしていました。               続きます。

category: 風 景

tb: 0   cm: 8

秋風に吹かれながら~最終回  

 秋風に吹かれながら見るのは、やはりこれだななと思いススキが多い山の斜面へやって来ました。
 その昔しススキは、屋根を葺く材料だったり堆肥にしたり牛馬の餌だったりしました。屋根材を刈
る萱場なら、広々とススキが穂を並べた風景を見られましたが、今では何処にでも蔓延ってしまうス
スキです。それでも、ススキの穂が青空の下で揺れる姿は良いものです。


『斜面の下の方は、白い穂のススキです。』
ススキ
『上に行くにつれ』 
ススキ2
『だんだんと』
ススキ3
『枯れ尾花になります。』
ススキ4
『ススキを掻き分けて斜面を登ると、雲のかかった駒ヶ岳の隣に荒沢岳が蒼く聳えていました。』
荒沢岳
『ほうき草の燃える赤は、この季節の色合いです。箒を作ったり、実は食用のトンブリです。』
箒草

 さて、秋風に吹かれながら撮った写真は、これでお終いです。ボツ写真は沢山ありますが、お見せ
できるような代物ではありません。今度はどこへ行こうかな~て、国道252号線の雪割り街道六十里
越と予告していだろうが。( ^ω^)・・・あ、そうだった。

category: 風 景

秋風に吹かれながら~7  



【ピンクの薔薇がただ一つ】赤い野バラがただ一つ荒れ野の隅に咲いている~♬をパクった
分けではありません。前々回のエントリに、入れ忘れたピンクの薔薇です。花言葉に『感謝』や『温
かい心』などがあります。そう言えば、バラ色の人生のバラ色って何色かな。

ピンクの薔薇

【蓮華躑躅(レンゲツツジ)の狂い咲き】ツツジ科ツツジ属の落葉低木で有毒植物です。馬でも殺す
ウマツツジの異称があります。もっとも放牧されている牛馬は利口で食べないから、放牧場にはレン
ゲツツジの大きな群落が出来たりします。秋も深まってから狂い咲いた花は、形も少し変です。

ツツジの狂い咲き

【赤茄子】南アメリカのアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の植
物です。果実は食用ですが、観賞用の小さなものもあります。赤茄子(あかなす)は、トマトの異称です。
トマトが日本で食べられるようになった頃は、赤茄子と呼ぶのが普通だったと聞いた気もします。

赤茄子
赤茄子2
赤茄子3

【この花の名は】君の名は、みたいで恐縮ですが花の名前を失念しました。一度は調べてメモっ
ておいたのですが、そのメモが何処へ行ったのか見当たりません。何方か、この花の名前を知らない
でしょうか。背高く、菊の花を思わせる花の形をしています。

この花の名は
この花の名は2
この花の名は3


category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

秋風に吹かれながら~6  

【桔梗(キキョウ)wikipedeaによると、キキョウはキキョウ科キキョウ属の多年性の草本植物
で、山野の日当たりの良い所に生育します。最近は、絶滅を危惧されている種でもあります。
 万葉集で秋の七草に歌われている「朝貌の花」は、実はキキョウのことではないかと言われていま
す。日本、中国、朝鮮半島、東シベリアに分布しています。
 園芸種には、白色や桃色の花をつけるもの、鉢植え向きに草丈が短いもの、二重咲きになる品種や
蕾のままほとんど開かないものなどがあります。


『キキョウの花』10月14日の撮影です。開花時期は、普通は六月中旬の梅雨ごろから初秋
の九月ごろまでです。この花は、頑張って咲いています。

桔梗
 蕾の風船キキョウと一緒に、キキョウの花が秋の風に吹かれていました。
桔梗2
 風船キキョウです。これが膨らみきるとポンと花が咲きます。
桔梗3
 風船キキョウもキキョウの花も、秋の陽を浴びて気持ち良さそうです。
桔梗4

 日本人の感性は、桔梗の花の形から「桔梗紋」を生みだしました。美濃国の山県氏、土岐氏一族は
桔梗紋を紋所にしていました。土岐氏一族の流れを汲む、明智光秀の水色桔梗紋が有名です。
 陰陽師の安倍晴明が使用した五芒星のことを桔梗印と呼び、晴明神社では神紋とされています。
 野生のキキョウは、現在減少の傾向にあります。環境省のレッドデータでは、絶滅危惧Ⅱ類に指定
されています。指定だけでは無く、対策が急がれます。

category: 植物の記

秋風に吹かれながら~5  

【薔薇(バラ)バラ科バラ属の総称です。wikipedeaによると、北半球の温帯域に広く自生して
いるバラは、チベット周辺や中国の雲南省からミャンマーにかけてが主産地です。ここから中近東や
ヨーロッパ、また極東から北アメリカへと伝播して行きました。ちなみにバラは、南半球には自生していません。
 バラ属は、灌木や低木、または木本性のつる植物で葉や茎に棘を持っているものが多く、葉は1回
奇数羽状複葉
で、花は5枚の花びらと多数の雄蘂(ゆうずい)を持っています。ただし、園芸種のほとんど
は八重咲きです。


 堀之内ICを見下ろせる公園に、赤白ピンクの花が咲いていました。今頃なんの花だろうと近づいて
みたら、小さなバラの花でした。花壇にでは無く、道の法面の芝生の中に植えられています。枯れ花
が多いですが、クッキリとした色合いのバラが秋風に揺れていました。


『小さな赤い薔薇』
赤い薔薇
赤い薔薇2
赤い薔薇3

『小さな白い薔薇』
白い薔薇
白い薔薇2
白い薔薇3

『小さなピンクの薔薇』
ピンクのバラ

 魚沼では、秋のバラの季節も終わります。奥山では、紅葉の真っ盛りで葉を落とし、白々と木肌を
さらしたブナもありました。実は、ここで薔薇を撮影した後、雪割り街道(酷道252)をドライブし
て来ました。その時の紅葉の様子は、この「秋風に吹かれながら」のシリーズを終えたらアップする
予定です。(慌てない慌てない。一休み一休み・・・でしたね一休さん。

category: 植物の記

tb: 0   cm: 6

秋風に吹かれながら~4  

籾型駆逐艦大日本帝国海軍の2等駆逐艦で同型艦が21隻建造されました。その中の1隻に、
艦名を【柿】と言う艦がありました。1940年に兵学校付属の練習船となり、後に船名を大須と改称
されています。終戦直後の台風で座礁し解体されました。

籾型駆逐艦(柿)

【柿】は、カキノキ科カキノキ属の柿の木に生る実です。甘柿と渋柿がありますが、渋抜きをする
と渋柿も甘く美味しくなります。東アジアの固有種で、長江流域に多く自生しています。


『渋柿を齧っては、渋いので落としてギャーギャーと鴉が鳴いていました。』鴉が見えますか?
柿とカラス
『柿の木』柿の木は枝は脆いから、木登りをしてはいけないと言われたものです。
柿の木
『柿の実が、たわわに生っています。』渋柿だと分っていても、一つもいで齧ってみたくなります。
柿の木2
『八珍やおけさ柿と言う渋柿のようです。そろそろ収穫して渋抜きをしないと熟柿になるかな。』
柿の木3

 渋柿の渋抜法は幾つかありますが、家庭でも出来る簡単な方法は焼酎を使った渋抜きです。こちら
のリンク先
で要領良くまとめています。一度試してみては如何でしょう。美味しい柿が食べられます
よ。(^o^)/・・・干し柿も渋抜き法の一つです。皮を剥いて簾のように干した光景を、見た事があ
りますか?

category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

秋風に吹かれながら~3  

【フジバカマの花とヒョウモンチョウ】お天気が良かった10月14日の撮影です。フジ
バカマの花に、ヒョウモンチョウが群がっていました。一口にヒョウモンチョウと言っても沢山の種
類がありますが、今回撮影したのはナミヒョウモンではないかと思います。


『ヒョウモンチョウとフジバカマの花をご覧ください。』
フジバカマとヒョウモンチョウ
フジバカマとヒョウモンチョウ2
フジバカマとヒョウモンチョウ3
フジバカマとヒョウモンチョウ4
フジバカマとヒョウモンチョウ5

 wikipedeaによると、ヒョウモンチョウの仲間は寒帯から熱帯まで全世界の陸上に分布し、分類法
にもよりますが14属、100種ほどが知られているようです。分布の中心は北半球の温帯や寒帯地域
で、チョウとしては北方系の分類群として位置づけられています。このうち日本では8属、14種が
見られるそうです。

category: 昆虫記

tb: 0   cm: 8

秋風に吹かれながら~2  

【溝蕎麦(ミゾソバ)タデ科タデ属 の一年生草です。東アジアに分布し日本では、北海道から
九州の小川沿いや沼沢地、湖岸などに生育しています。花の見た目が蕎麦の花に似ていることが和名
の由来だそうです。もっとも花の見た目だけなら、棘のある同属のママコノシリヌグイもよく似てい
ます。田圃の用水の溝に蔓延るので、溝蕎麦(ミゾソバ)なのでしょう。


『ミゾソバの花の拡大写真から順に、群生の様子まで写真を並べてみました。』
ミゾソバ5
ミゾソバ4
ミゾソバ3
ミゾソバ2
ミゾソバ

 ミゾソバは、幕末の京で活躍した新撰組副長土方歳三の生家が製造販売していた石田散薬の原料で
した。司馬遼太郎によると、土方歳三の新撰組の組織の立て方は、村中を動員して原料のミゾソバを
刈り入れ干す、家業の指揮を任されていたからだそうです。また、その指揮ぶりが上手で無駄が無く
人が活き活きと働けたそうです。
 石田散薬の製造元では、ミゾソバは牛革草(ギュウカクソウ)と呼ばれていたそうです。ミゾソバの葉の形
が、牛の額に似ているからのようです。効能は、骨折や打ち身、捻挫、筋肉痛、切り傷などで、宝永
年間(1704~1711)から昭和23年(1948)の薬事法改正まで、約250年の間だ製造販売されていたそうです。
 

category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

秋風に吹かれながら~1  

【藤袴(フジバカマ)キク科ヒヨドリバナ属の多年草で秋の七草の1つです。原産は中国とも云
われていますが、万葉の昔から日本人に親しまれてきた秋の花です。8月から10月にかけて、散房
状に淡い紫紅色の小さな花をつけます。

フジバカマ
フジバカマ3
フジバカマ2
 生草のままでは香らないフジバカマですが、乾燥すると桜餅の葉のような香りがします。蘭草とか
香草と中国で呼ぶのは、そこからなのでしょう。かつては日本各地の河原などに群生していたフジバ
カマですが、近年は数を減らして、環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種に指定されています。


『8月のフジバカマ』青々として、力が漲っていたころの草姿です。
8月のフジバカマ

『堀之内ICと魚沼三山』魚沼三山が、こんな感じに見える公園からでした。
堀之内ICと魚沼三山

category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

北国街道散策~最終回  

 江戸時代脇街道として発展した北国街道の散策記でしたが、街道の全体から見れば点のように短い
所を歩いただけでした。その点のような所に幕末期、越後国蒲原郡43カ村を領した三根山藩と云う
1万1千石の小さな藩がありました。
 三根山藩牧野氏は、寛永11年(1634)、越後長岡藩初代藩主牧野忠成 の四男定成が、蒲原郡三根
山に新墾田6千石を分与され分家したのに始まります。 領地が1万石に満たないことから大名では無
く旗本寄合席として長らく存続していました。
 幕末の文久2年(1863)年、領主牧野忠泰は、新たに新田開墾分5,000石を打ち出して、高直しに
より1万1千石の三根山藩を立藩します。藩庁は三根山陣屋に置かれました。廃藩置県時には、士分
格式60人、卒分格式124人がいました。
 長岡藩初代藩主牧野忠成は、与板(後に小諸移封)、三根山の二つを一代で分家させました。しか
しながら諸侯として二つの分家が召し出されるのは恐れ多いと、三根山は当初から実質1万1千石の
石高がありながら遠慮してこのような仕儀となったと、幕末の三根山藩文書に説明されていると云う
ことです。
 戊辰戦争では宗家の長岡藩に近い立場でしたが、新潟、長岡が相次いで陥落すると慶応4年8月に
新政府側に恭順し新政府軍の庄内藩征伐に出兵しています。庄内兵に茶塚から大砲を向けられ、寺泊
戦線へ同行を迫られた意趣返しの形になりました。
 長岡藩は北越戊辰戦争敗戦後に、極度の食糧不足に陥っていました。それを救うため三根山藩は、
急遽100俵ほどの義援米を長岡に送り届けました。その義援米を、長岡藩が人材育成に当てたこと
が、後に戯曲化されて「米百俵」の美談として世に知られるようになりました。


『長岡藩へ米百俵を送った三根山藩』
三根山藩址
三根山藩址2クリックして読んでください。
稲山陣屋(藩庁)
『上に掲げた図や説明文は、写真右の立て看板からです。』
三根山藩址3
『四阿で休憩したかったのですが、三根山藩庁址へと進みます。』
三根山藩址4
『建物は残っていませんが、立派な三根山藩址之碑が建っています。』
三根山藩址の碑

『米百表の碑』牧野家14代博基書とありました。昭和59年の建立です。
米百票の碑
米百票の碑銘板クリックして読んでください。
『さて、ようやく北国街道散策シリーズを終えることが出来そうです。』
北国街道散策

「あとがき」
 三根山藩が、疲弊した長岡藩を救うべく送った米百俵が戯曲化されて、小林虎三郎をはじめとする
長岡藩が、その米を食うこと無く人材育成に使った事が美談化されています。しかしながら、その米
を送った側のことは、あまり知られていないように思います。
 米百俵を送った側の三根山藩が、富裕だった分けではありません。戊申北越戦争後の混乱期に、よ
り疲弊していた本家の長岡藩の人たちの窮状を見かねての義援米だったのです。送った方も送られた
方も、その行動は、間違う事無き日本人ではありませんか。そんなことを考えながらの、今回の北国
街道散策でした。冗長な散策記に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 8

北国街道散策~5  

 北国街道散策記も5回目になりました。歩いている所は、お気付きの読者も居られると思いますが
旧三根山藩領(新潟市西蒲区)の一部です。今回は北国街道~2で、戊辰戦争で寺泊方面へ出兵する
庄内藩の兵に、大砲を向けられて同行を迫られた三根山藩の藩庁址を訪ねてみました。


『三根山藩址公園』広々とした芝生の広場の背後の山は、雪割草で有名な角田山です。
三根山藩址記念公園

『三根山藩址標柱』
三根山藩址標柱

『三根山藩址之碑』小高い所に立派な石碑が建っています。
三根山藩址

『旧藩記念庫』財団法人三根山有終団の手によって管理されているようです。
旧藩記念庫
三根山有終団
 検索してみると『この法人は、新潟市西蒲区峰岡在住士族旧三根山藩士が共有してきた資産を継承
し、祖風を受け継ぎもって旧藩士の面目を保持するとともに、地域の発展に寄与することを目的とす
る。』とありました。


『旧藩時代の人々の碑』説明文は、クリックして読んでください。僅か1万1千石の小藩に
も拘らず多士済々に驚きます。まだ他にも在ったようですが、写真に撮っていませんでした。


豊原又男
豊原又男生誕の地記念碑

新保正与
新保正与顕彰碑

佐藤茂富説明
佐藤茂富碑

 5回目で切りが良いので「北国街道散策」は、今回でと思いましたが終えることが出来ませんでし
た。次回は最終回にしないと、そろそろネタが尽きてしまいます。「歴史よもやま話」は、あんまり
人気が無いのですが時々これをやらないと「古今往来」の名が廃りますから。(^o^)/

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 8

魚野川で~6  

【魚野川のセグロセキレイ】せせらぎが奏でるメロデーに、耳を傾けているようでした。
セグロセキレイ
セグロセキレイ2
セグロセキレイ3
セグロセキレイ4
セグロセキレイ5
 セグロセキレイが聴いていたメロデーを、感じることが出来ましたでしょうか。「白い雪が舞う冬も近いよ🎶」と聴こえなかったら幸いなんですが。(^o^)/。


『久しぶりに動画を貼ってみました』

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 6

北国街道散策~5  

 お地蔵さんが二対も在った隆崇寺を後にして、一山寺(ひとやまでら)へと向かいました。このお寺さん
は、三根山藩牧野家の領内の菩提寺です。代々の領主の五輪塔も並んでいました。もっとも三根山に
陣屋を置いた領主の牧野氏は、長岡藩牧野家から6000石で分家した交代寄合席の旗本でした。幕末
に至って、1万1千石の三根山藩を立藩し諸侯に列しました。
 元禄の頃、一山寺第四世順誉上人(団嶺和尚)は、自ら自然石に観音菩薩を線刻して、寺の裏山に
西国三十三霊場を模した脱苦山霊場を開いたそうです。


『一山寺』本堂の大屋根下の壁に、三柏紋が掲げてありました。三柏紋は、牧野氏の家紋です。
一山寺

 山道を登って行くと、道端に立派な説明文が建っていました。
線刻
 団嶺和尚が刻んだ線刻三十三観音について記してありました。
説明文

『線刻の観音様』どこに彫られているか、
線刻1 

                                サムレイルですからクリックして大きな画像で、
                               線刻2
 観世音菩薩を拝してください。
線刻3見られましたか?

 説明文にあった山上まで行き、開基標の文字を写して来たかったのですが途中で心が折れました。
時間も押していましたし、竹林の道は薄暗くなり始めていましたから。     続く。

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 6

魚野川で~5  

 ようやく昨日から秋晴れになりました。お天気が続くのは、何時以来だったか忘れてしまいました。それほど今年の秋は、晴れなかったと言うことです。
 魚野川から釣り人が去り、水辺で暮らす鳥たちが帰って来ました。残念ながら渡りの鳥さんの姿はまだ見えませんが、生き物の姿が見えるのは楽しいことです。それがアオサギでも、活き活きとしている姿は良いものです。


『羽毛の手入れ、それとも痒いの?』
アオサギ1
『おや、真面目な顔?』
アオサギ2
『お、飛んだ!!』
アオサギ3
『ツートンカラーの翼がカッコイイ!』
アオサギ4
『速くて追い切れない!』カメラの性能か?はたまた腕が悪いのか?両方か!
アオサギ5

『おまけ』連られたのか、ダイサギも飛び立った。
ダイサギ

 サギさんが飛んでいる姿を載せてみました。大型の鳥の飛行は、悠々としています。

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 8

北国街道散策~4  

 北国街道散策も、飛び飛びですが4回目になりました。今回は、茶塚を探して歩いていたときに、
お地蔵さんに魅かれて立ち寄ったお寺さんです。昔は、この辺りを領していた三根山藩牧野家の祈願
所であったそうです。遠くから御本堂を拝しただけでしたが、往時の面影が残っているようです。


『お地蔵さん』二対のお地蔵さんが、お寺の
お地蔵さん1入口の左右に鎮座しておりました。(サムネイル)
                               お地蔵さん2
『葷酒山門に入るを許さず』裏面に、文久二戌年五月 十八世代とありました。
葷酒山門に入るを許さず

法誉山 隆崇寺本堂』三根山藩牧野家代々の祈願所です。詳しくは下の説明文で。
本堂
説明文説明文は、クリックで別ウィンドウが開きます。

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 6

魚野川で~4  

 wikiによると、狩猟(しゅりょう、英:hunting ハンティング)とは、野生動物、特に鳥類・哺乳
類を捕獲する人間の行為のことである。とあります。さらに、人間社会の最初期から存在する生業と
されている。とあります。
 野生動物の捕食とは、餌となる対象の動物を捕らえて食うことである。とありますが、その本質に
おいて、人間が行う狩猟と何ら変わりはありません。時に、その行為が美しくさえ感じられるのは、
我々にも幾らかは野生の血が流れていると言うことでしょうか。


『アオサギのハンティング』
アオサギ

『歓喜の舞い』
アオサギ2

 アオサギが捕まえたのは、お腹に卵を抱えた落ち鮎のような気がします。は、水温が20℃くら
いになると下流域へ産卵のために落ちて行き、水温が16℃になる頃には終了するそうです。

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 6

北国街道散策~3   

 巻菱湖(まき りょうこ)wikiによると、安永6年(1777年)~天保14年4月7日(1843年5月6日)』は、
江戸時代後期の書家です。越後国巻(現在の新潟市西蒲区)で生まれました。
 菱湖は篆書、隷書、楷書、行書、草書、仮名のすべてに巧みで、特に楷書を得意としました。平明
で端麗な書体は、千字文などにより、世に広く書の手本として用いられ、「菱湖流」と呼ばれていま
す。その書風は、幕末から明治にかけての書道界に大きな影響を与えました。
 明治政府や宮内庁の官用文字、欽定文字は、従来の御家流から菱湖流に改められました。菱湖の門
下生は1万人を超え、市河米庵、貫名菘翁と共に「幕末の三筆」と並び称されています。


    『五言律詩行書双幅』巻菱湖書            『五仙騎五羊』巻菱湖書
『五言律詩行書双幅』巻菱湖書 『五仙騎五羊』巻菱湖書

 巻菱湖記念時代館については、こちらをご参照ください

 将棋の銘駒と呼ばれる駒の書体の1つに、菱湖流が用いられています。タイトル戦などで使用され
る高級な駒に用いられていて、中原誠を始め、この書体を好む棋士も多いと言うことです。



 巻菱湖のことについて、前置きがずいぶん長くなりましたが「歴史よもやま話」ですのでご容赦く
ださい。それで、前回の「歴史よもやま話~2」を、思い出して頂きたいのです。それは此方です
 茶塚や庚申塔の前の、北国街道と思われる道を暫らく行くと、新潟県で一番古いゴルフ場の新潟ゴ
ルフ倶楽部があります。その片隅に、巻菱湖の生家跡を記した表示が建っていました。今回のエント
リは、それを見た時から何時か紹介しようと思っていたのです。


『北国街道の跡と思われる道』農作業道として、今でも使われているようです。
北国街道

『巻菱湖の生家跡の表示』これを見なければ・・・
巻菱湖生誕の地

『新潟ゴルフ倶楽部』菱湖の生家跡の隣では、楽しそうにゴルフをしていました。
ゴルフ場

『三根山藩調練場跡』後日、このゴルフ場でプレーをした際に見つけました。
峰山藩調練場跡 

『角田山と新潟ゴルフ倶楽部』2016年9月10日15時26分の空模様です。
角田山と新潟ゴルフ倶楽部

 北国街道散策は、まだまだ続きますが(続くんだろうな!)、今回はこの辺までと致します。お付
き合いを頂いて、ありがとうございました。


                         新潟ゴルフ倶楽部の歴史については、此方をご覧ください。

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 6

魚野川で~3  

『逆光』
逆光
逆光2
逆光3
逆光4
逆光5
逆光6
 シルエットに近い写真を並べただけで、「何だ!」な感じだったでしょうか。逆光で撮影した
アオサギです。まだ夕方までには間がありますが、日暮れ前のような雰囲気になりました。


 同じ頃、日当たりの良い岸辺に菊芋の花が咲いていました。
菊芋の花

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 4

魚野川で~2  

『背黒鶺鴒(セグロセキレイ)スズメ目セキレイ科セキレイ属に分類される鳥類です。九州以
北の河川の中流域に分布している日本の特産種です。


 時々家の近くでも見ますが、川に居るのが一番似合う鳥さんです。
セグロセキレイ
 岸辺の岩の上で「ジュビッ、ジュビッ」と鳴いていました。
セグロセキレイ2
 仲間の囀りを聴いて、川向こうを見ています。
セグロセキレイ3
 あら、飛んでっちゃった。
セグロセキレイ4
 飛沫が懸かる岩に、セグロちゃんが一羽いました。 
セグロセキレイ5

 鶺鴒は、尾を上下に細かく振るのが特徴です。それを見て千葉周作は、剣先を固着させないで細か
く上下する北辰一刀流の構えを工夫したと云うことです。その鶺鴒がセグロちゃんなのか他の鶺鴒な
のかは、知るところではありません。

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 7

魚野川で~1  

 久しぶりに、魚野川を見に来ました。秋晴れの暖かい日(10月7日)だったのですが、北の空には薄雲が広がっています。鮎釣りや渓流魚のシーズンは、9月末で終了したので釣り人の姿はありません。人の姿が見えなくなると、代わって野鳥が多くなります。

『魚野川』川水が冷たく感じられるようになり、河原の草も秋色に染まり始めました。
魚野川

『ダイサギ』真っ白な姿が、陽光に煌めく川面に溶け込みそうです。
ダイサギ
 首を長く伸ばして、辺りを警戒しているのでしょうか。
ダイサギ2
 草の生える岸辺で、獲物を待ち構えているダオサギです。
ダイサギ3

『アオサギ』忍び足で、獲物を狙っているようです。
アオサギ
 ダイサギとアオサギが、わりと近いところで獲物を狙っていました。
ダイサギとアオサギ

 今日は予報通りに、秋雨が降っています。室内の温度計は、25℃ですから寒くはありません。まだ半袖で過ごしていますが出かける時には、上着を持っていくようになりました。

category: 野鳥の記

tb: 0   cm: 6

今日の空・緑の田園  

 昨日の薄ら寒い日から一転して、今日は穏やかに晴れた暖かい日になりました。こんな秋晴れは、
この秋初めてのような気が致します。稲刈りの終わった田圃には、稲株から二番稲が生えて、まるで
緑の絨毯のようです。


『秋晴れの空』天高く 食欲の秋 わがお腹
今日の空

『畔草を刈る人』来春の ために秋草 刈り払う
畔草を刈る人

『緑の絨毯』二番稲 穂を出したなら 実りなよ
緑の絨毯

『権現堂山に雲多し』秋晴れに 雲は離すな 権現堂
権現堂山

 緑の絨毯の様に見える二番稲に、稲穂が出始めています。天気回りが良ければ今月末頃に、二番米
が実るかも知れません。そうなったら、冬を前にした野鳥たちが喜びます。

category: 風 景

tb: 0   cm: 8

今朝の庭先で  

 今日の魚沼は、曇り空から時々雨が降る肌寒い天気です。昨夜は台風十八号が温帯低気圧に変わりましたが、けっこう強い雨風でした。被害と言えるほどの事は無くて、植木鉢が二つばかり引っくり返った程度です。台風一過の好天にはなりませんでしたが、あした天気にな~~れ。

『アルストロメリア』枯れた茎の枝先で、ムギワラトンボが休んでいました。
ムギワラトンボとアルストロメリア

『菜園のオクラ』花も実も、昨夜の荒天に負けませんでした。
オクラ
オクラの花クリックして大きな画像でどうぞ。

『あさがお』花が少なくなりましたが、まだ咲いています。
アサガオ

『孔雀草』昨夜の荒天には負けませんでしたが、夏の暑さに負けて花付が悪いです。
孔雀草

『秋明菊』昨夜の荒天にも負けず、曇り空の下で明るく咲いています。
秋明菊
八重咲秋明菊八重咲の秋明菊です。

 この前は、庭先の木の実でしたので、今回は庭先の草花をエントリしました。冒頭でも書きましたが、台風の被害はありません。ただ曇り空が鬱陶しいだけです。それに肌寒い。(*´з`)

category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

北国街道散策~2  

『庚申塔』嘉永2年(1849)建立とありました。庚申塔については、此方をご覧下さい。
 嘉永2年と言えば、天皇は孝明帝です。江戸幕府の将軍は、徳川家慶でした。時代を揺るがす幕末
の騒動を、ペリー来航からとすると嘉永6年まで待たねばなりません。この頃の日本は、未だ太平の
世の中でした。太平と言っても眠っていた分けでは無く独自の庶民文化が花開いていたのは、田舎の
路傍に建つ石碑を一つ見ても頷けます。

庚申塔

『北国街道(茶塚地蔵様)庚申塔の目の前に建っていました。
北国街道

『茶塚の説明板』茶塚の上は現在墓地でしたから、子育て地蔵の写真を撮っていません。
茶塚

『三根山藩庁址』茶塚の上から杉木立を透かして見ると、ここに大砲を据えられては、お手上
げの近さです。説明板にあった通り戊辰戦争時のエピソードですが、僅か1万1千石の小藩の悲哀を
感じさせられました。またここは、説明板によると、人の往来が煩瑣な北国街道沿いということで、
三根山藩の罪人を打ち首にした首の晒し場でもあったようです。

三根山藩庁址

 北国街道の道筋は、おおよそ分かっているつもりでしたが、その道が全て残っている分けではあり
ません。道筋に当たる所に残されている石碑や遺構、それに説明板などが無いとただ歩くだけに成っ
てしまいます。それらを整備されている関係者の方々に、深く敬意を表します。   続く。

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 4

庭の木の実  

 庭の草木も勢いを無くして、秋の装いに変わろうとしています。短い秋が過ぎれば長い冬が訪れま
すが、それは、まだまだ先のことと思いたいですね。

 
『ナナカマドの実(1)9月13日撮影未だ黄色の実でしたね。
ナナカマドの実
『ナナカマドの実(2)10月4日撮影少しは赤く熟して来たようです。
ナナカマド

『ヤマボウシの実(1)9月13日撮影実が紅く熟した頃でした。
ヤマボウシの実
『ヤマボウシの実(2)10月4日撮影野鳥が食べたり落ちたりで、実が少なくなりました。
ヤマボウシ

『シャラの木の実(1)9月13日撮影葉も実も色艶が良く、若々しいですね。 
沙羅の木の実
『シャラの木の実(2)10月4日撮影葉の色が変わり始め、実が弾けて来ました。
シャラの木の実

 今朝は陽が射しているのに雨が降ったりで、天候が安定しそうに無いですね。大型台風18号が、
日本列島を縦断しようとしている影響かな。各地の被害が少ないように祈ります。

category: 植物の記

tb: 0   cm: 8

稲穂と雀  

 9月は雨が多かったので、稲刈りが出来ないでいた田圃もかなりありました。それも昨日の良い天
気で、あっという間に少なくなりました。山間部には、まだ刈られていない稲が有りますが、それも
ごく僅かになったようです。機械化が進んだとはいえ、稲作が天候に左右されるのは昔と変わらない
ようです。まだ刈りとられていない田圃では、スズメが豊穣の分け前に与っています。


『稲穂とすずめ』稲穂の中で、のびのびと遊べるのもあと僅かです。
稲穂と雀
 他の雀の様子を、窺っている様な仕草もします。
稲穂と雀2
 田圃はスズメの餌場ですが、遊び場の様でもあります。
稲穂と雀3
 一羽が飛び立つところを、偶然撮影できました。
稲穂と雀4
 田圃の傍の木の枝で、スズメは何を語り合っているのでしょうね。
ウワミズザクラに雀

 1920年代~1940年代に行われた移動性を調べる調査によれば、新潟県で標識放鳥された約5700
個体のうち7個体が岡山県で、3個体が高知県で標識回収された事が記録されているそうです。雀も
思いのほか遠くまで旅をするのですね。 

category: 風 景

tb: 0   cm: 6

無才のアルバム ちりつぼ

プロフィール

fc2カウンター

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

▲ Pagetop