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北国街道散策~最終回  

 江戸時代脇街道として発展した北国街道の散策記でしたが、街道の全体から見れば点のように短い
所を歩いただけでした。その点のような所に幕末期、越後国蒲原郡43カ村を領した三根山藩と云う
1万1千石の小さな藩がありました。
 三根山藩牧野氏は、寛永11年(1634)、越後長岡藩初代藩主牧野忠成 の四男定成が、蒲原郡三根
山に新墾田6千石を分与され分家したのに始まります。 領地が1万石に満たないことから大名では無
く旗本寄合席として長らく存続していました。
 幕末の文久2年(1863)年、領主牧野忠泰は、新たに新田開墾分5,000石を打ち出して、高直しに
より1万1千石の三根山藩を立藩します。藩庁は三根山陣屋に置かれました。廃藩置県時には、士分
格式60人、卒分格式124人がいました。
 長岡藩初代藩主牧野忠成は、与板(後に小諸移封)、三根山の二つを一代で分家させました。しか
しながら諸侯として二つの分家が召し出されるのは恐れ多いと、三根山は当初から実質1万1千石の
石高がありながら遠慮してこのような仕儀となったと、幕末の三根山藩文書に説明されていると云う
ことです。
 戊辰戦争では宗家の長岡藩に近い立場でしたが、新潟、長岡が相次いで陥落すると慶応4年8月に
新政府側に恭順し新政府軍の庄内藩征伐に出兵しています。庄内兵に茶塚から大砲を向けられ、寺泊
戦線へ同行を迫られた意趣返しの形になりました。
 長岡藩は北越戊辰戦争敗戦後に、極度の食糧不足に陥っていました。それを救うため三根山藩は、
急遽100俵ほどの義援米を長岡に送り届けました。その義援米を、長岡藩が人材育成に当てたこと
が、後に戯曲化されて「米百俵」の美談として世に知られるようになりました。


『長岡藩へ米百俵を送った三根山藩』
三根山藩址
三根山藩址2クリックして読んでください。
稲山陣屋(藩庁)
『上に掲げた図や説明文は、写真右の立て看板からです。』
三根山藩址3
『四阿で休憩したかったのですが、三根山藩庁址へと進みます。』
三根山藩址4
『建物は残っていませんが、立派な三根山藩址之碑が建っています。』
三根山藩址の碑

『米百表の碑』牧野家14代博基書とありました。昭和59年の建立です。
米百票の碑
米百票の碑銘板クリックして読んでください。
『さて、ようやく北国街道散策シリーズを終えることが出来そうです。』
北国街道散策

「あとがき」
 三根山藩が、疲弊した長岡藩を救うべく送った米百俵が戯曲化されて、小林虎三郎をはじめとする
長岡藩が、その米を食うこと無く人材育成に使った事が美談化されています。しかしながら、その米
を送った側のことは、あまり知られていないように思います。
 米百俵を送った側の三根山藩が、富裕だった分けではありません。戊申北越戦争後の混乱期に、よ
り疲弊していた本家の長岡藩の人たちの窮状を見かねての義援米だったのです。送った方も送られた
方も、その行動は、間違う事無き日本人ではありませんか。そんなことを考えながらの、今回の北国
街道散策でした。冗長な散策記に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。
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category: 歴史よもやま話

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コメント

ご無沙汰をば・・。

わ。このシリーズ。最終回ですか。。。
後戻りしてゆっくり拝見しなければ

米百俵
三根山藩からご本家長岡藩へ~?
そうだったんですか。

文武両道。人材育成
日本人のいいお話・・・歴史往来、万歳!

では、、、もうすこしふるいところものちほどゆっくりはいけんつかまつりそろ。

(。・ω・。)ノ♡

torisan #mQop/nM. | URL
2016/10/20 12:52 | edit

ひよさん、こんにちは。

お久しぶりです。お元気そうで何よりです。

米百俵~石数で言えば25石ですね。当時の租税は、四公六民が点前
でしたから、1万5千石の藩の収入は6千石です。僅か1万5千俵です。
北越戊申戦争の戦費が嵩んでいたでしょうから、100俵の米を拠出す
るのは、大変な事だったと思います。

無才 #- | URL
2016/10/20 13:24 | edit

こんにちは。

 >長岡藩へ米百俵を送った三根山藩・・小泉さんが所信表明演説で引用していた記憶があります。オリンピック会場を巡る金の話など、この現状をどう思うのか当時の人に聞いてみたいものです。

inkyo #mQop/nM. | URL
2016/10/20 15:40 | edit

こんにちは

最後は、心に響く良い話でありがとうございます。
江戸時代の教育は、人間本位ですね。
現在の、金金というみみっちい話は、悲しいです。

one0522 #bmlW70E6 | URL
2016/10/20 16:51 | edit

inkyoさん、こんばんは。

今回のシリーズは、米百俵を送った小藩の三根山藩を、多方面から紹介して
みたくて始めたものでした。お付き合いを頂いて、ありがとうございました。

江戸時代の侍は、人はどう生き、どう行動すれば美しいかを、幾代にも亘って
考え、磨き続けた純度の高い結晶の様な人たちではないかと思います。

無才 #- | URL
2016/10/20 20:49 | edit

ワンさま、こんばんは。

6回に渡って北国街道散策に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。

江戸時代の庶民は、たとえ身分の低い侍であっても尊敬していたと聞きます。
それは、一身の不始末は、死を持って清算する気概と行動だったと思います。
その庶民であっても、信用が第一で無二のものでした。

無才 #- | URL
2016/10/20 21:04 | edit

素晴らしい歴史散策ができました

なんとも小さいながらも波乱の歴史がぎっしりつまっている感じですね。いつか実際に訪問したいと思います。

(*^-^)ノ

ガンダム #iL.3UmOo | URL
2016/10/22 12:53 | edit

ガンダムさん、こんばんは。

ありがとうございます。ようやく北国街道散策を、終えることが出来ました。
あれもこれもと冗長なものに成ってしまいましたが、お付き合い頂いたこと
に、感謝したいと思います。

江戸時代の文化は江戸だけだけでは無く、六十余州それぞれの中心が、文化と
人材の発信元であったのですね。

無才 #- | URL
2016/10/22 20:25 | edit

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