FC2ブログ
無才の古今往来 ホーム » 歴史よもやま話 »雪の坂戸城居館跡の石碑と石垣の復元工事

雪の坂戸城居館跡の石碑と石垣の復元工事  

 1月12日の「雪の坂戸城居館跡へ」のエントリでは、長々とした石垣が見えたところで続きとし
ました。今日は、その続きを辿ってみたいと思います。
 もうずいぶん以前になりますが坂戸城を、「要塞の山坂戸城1」「要塞の山坂戸城2」の2編にま
とめた事があります。IZAの頃のもので、引っ越したまま放ってありますから見難いと思います。


『史跡坂戸城跡の碑』堀直寄は、居館を中心に近世城郭に改修しました。
史跡坂戸城跡の碑

『上田五十騎発祥の地』謙信の養子景勝が、春日山城へ引き連れた上田長尾家臣団の精鋭。
上田五十騎発祥の地の碑

『石垣の復元工事中』新潟日報に修復の記事がありました。此方で読めます。
石垣の復元工事

『石垣に沿って移動中』東西110メートル、南北80メートルの城主居館跡。
石垣に沿って移動

『上杉景勝・直江兼続誕生の地の碑』景勝が生まれたのは、魚野川対岸の樺沢城です。
上杉景勝・直江兼続 誕生の地の碑

『石垣の北隅』こちら側も石垣の復元が始まっているようです。
石垣北隅

『居館跡から本丸を望む』新田氏一族(鎌倉時代)~上田長尾氏(南北朝騒乱後)~堀直寄(慶長3年(1598年)~慶長15年(1610年))騒乱の時代の終了とともに、棄却された要塞の山坂戸城です。
居館跡から本丸

 要塞の山坂戸城は、織田信長旗下の滝川一益に攻められても落ちず、小田原の北条氏政に攻められ
ても落ちなかった無敵の城です。この鉄壁の城も一度だけ落ちた事があります。謙信が越後守護代家
を相続したことを快く思わなかった景勝の父政景が、反旗を翻した時です。    続きます。
関連記事

category: 歴史よもやま話

tb: 0   cm: 4

コメント

こんにちは。

 石垣もこの季節は深い雪の下に、来春からの工事再開が待ち望まれます。

inkyo #mQop/nM. | URL
2017/01/27 14:37 | edit

inkyoさん、こんばんは。

今回の写真は、1月7日の撮影でした。一面の雪景色ですが、
まだ雪は浅かった頃です。
11日からの降雪で、全て雪の下に埋もれたことでしょう。

無才 #- | URL
2017/01/27 17:03 | edit

おはようございます

堅固でも政に不便な山城は戦国時代を境にほぼ破却されたでしょうか

時代の流れに逆らったような仙台の青葉城は
徳川に対するはったりだったのでしょう

とろ #- | URL
2017/01/28 10:10 | edit

とろさん、こんにちは。

徳川幕府は江戸の後背地の越後に、謙信のような勢力が
再び起こるのを恐れ大国越後を細切れにしました。

魚沼は、関東への関門の地ですから大名さえ置きません。
城は不要になったのです。

無才 #- | URL
2017/01/28 12:19 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://musai00h.blog.fc2.com/tb.php/2065-09874d6f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

無才のアルバム ちり壺

プロフィール

fc2カウンター

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

▲ Pagetop